とと思った。自分が困憊《こんぱい》してるのを見て彼らは、卑しい怨恨《えんこん》を含んでるのではないことを証明したがってるのだと、彼は想像した。そしてそれに感動した。彼はオイフラートへ交響詩を一つ送って、真情に満ちた寸簡を認《したた》めた。向こうからは秘書の手に成った返事が来た。冷淡なしかし丁寧《ていねい》な手紙であって、送られたものを正に受け取ったと告げ、交響曲は楽団の規則に従って、近々管絃楽団に配布され、公の演奏をする前に一度、一般試演にかけてみるはずだと書き添えてあった。規則は規則だった。クリストフは従わないわけにはゆかなかった。それにまたこの規則は、単に形式的なものであって、厄介《やっかい》な音楽愛好家らの労作を避けるために使われてるものだった。
 二、三週間後に、クリストフは自作の試演が行なわれる由を知った。原則としてはすべて傍聴が禁じられ、作者といえども立ち合うことができなかった。しかし作者が出席することは一般に大目に見られていた。ただ作者たることを示してはいけなかった。だれも皆作者を知りながら知らないふうをするのであった。それで定日になると、クリストフは一人の友人に誘われ、場内に案内されて、ある桟敷《ボックス》の奥に席を占めた。ところが、公開を禁じた試演なのに、場内が――少なくとも下の座席が――ほとんど満員なのを見て、彼は非常に驚かされた。音楽通や閑人《ひまじん》や批評家などがたくさん集まって、がやがや騒いでいた。管弦楽団は彼らの臨席を知らないことになっていた。
 最初にまず、ゲーテの冬のハルツ紀行[#「冬のハルツ紀行」に傍点]の一節を取り扱った、次高音《アルト》と男声合唱と管弦楽とからなるブラームスの狂詩曲《ラプソディー》が、演奏された。この作のしかつめらしい感傷性をきらっていたクリストフは、ブラームス派の者らがたくらんで、不敬な非難を加えた一曲を自分に無理に聞かして、ごていねいな復讐《ふくしゅう》をするつもりでいるのだと、みずから考えた。そう考えると笑わずにはいられなかった。狂詩曲《ラプソディー》が終わってから、彼が対抗した知名の音楽家らの他の二曲が始まると、彼の愉快な気分はなお募ってきた。彼らの意図が明らかにわかるような気がした。彼は渋面を押えることができないで、結局これは面白い戦いだと考えた。ブラームスとその一派にたいして感激を示してる聴衆の喝采《かっさい》に、彼は皮肉な喝采を交えまでして面白がった。
 ついにクリストフの交響曲《シンフォニー》の番となった。彼の桟敷の方へ管弦楽席や平場から幾つかの視線が向けられたので、彼は自分の出席が知れわたってることを見て取った。彼は奥に隠れた。彼は待った。楽長の指揮棒が上げられ、音楽の河水が沈黙のうちにあふれてきて、将《まさ》に堤防を破らんとする瞬間に、どの音楽家も感ずる一種の痛切な心地を、彼も感じた。彼はまだかつて、自分の作を管絃楽で聞いたことがなかった。彼が夢想した生物らは、いかなるふうに生き上るであろうか。彼らの声はどんなであろうか。彼は自分のうちに彼らが喚くのを感じていた。そして音響の深淵をのぞき込んで彼は、そこから出て来るものを震えながら待っていた。
 出て来たのは、名もないものであり、奇体な捏《ね》り細工だった。殿堂の破風《はふ》をささうべき堅固な円柱どころか、廃《すた》れた泥建築のように、和音は次から次へと崩壊していった。漆喰《しっくい》の埃《ほこり》よりほかには何も認められなかった。クリストフは自作が演奏されてるのだとはなかなか信じられなかった。彼は自分の思想の線を、律動《リズム》を捜した。もうそれも見分けられなかった。その思想は壁につかまって行く酔漢のように、訳のわからぬことをしゃべりながらよろよろと進んでいった。彼はそういう状態になってる自分の姿を人に見られたかのように、恥ずかしくてたまらなかった。自分が書いたのはそういうものではないと知っても、なんの役にもたたなかった。愚劣な通弁者から自分の言葉が改悪される時、人はちょっと疑ってみ、その馬鹿さ加減に自分は責任があるかどうか、驚いてみずから尋ねる。ところが公衆の方は、決して怪しまない。聞きなれた通弁者を、歌手を、管弦楽隊を、あたかも読みつけの新聞を信ずるように信じている。通弁者らに誤りがあるはずはない。彼らがくだらないことを言うのは、その作者がくだらないからである。そしてこの場合においては、そう信ずることが愉快であるだけにますます聴衆は怪しまなかった。――クリストフは、楽長が滅茶《めちゃ》な演奏に気づいて、管弦楽をやめさせ、初めからやり直さしてくれるだろうと、しいて思い込もうとした。もはや各楽器がいっしょに鳴ってはいなかった。ホルンは吹き出す機《おり》をそらして、一小節だけ後《おく》れていた。そしてな
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