、少くとも一品を、たった一品でも、自分に与えてくれと願いたかった。しかしどうして粉屋にそれを願われよう? 彼にとっては粉屋は赤の他人であった。彼の恋は彼女でさえも知ってはいなかった。それをどうして今他の人に示されよう? それにまた、もし一言言いかけたら、すぐに泣き出すかもしれなかった。……否々、黙っていなければならない、全部の消滅をただじっとうちながめていなければならない、その難破から名残《なご》りの一片を救い出すためには、何にもなすことができずに……。
 そしてすべてが済んだ時、家が空《から》になった時、粉屋の後ろに表門がしめられた時、荷車の車輪の響きが窓ガラスを震わしながら遠ざかった時、その響きが消えてしまった時、彼は床《ゆか》に倒れ伏して、もはや一滴の涙もなく、苦しもうとのあるいはたたかおうとの考えもなく、冷えきってしまい、彼自身死んだようになった。
 扉《とびら》をたたく者があった。彼はじっとしていた。また扉がたたかれた。彼は鍵《かぎ》をかけて閉じこもることを忘れていた。ローザがはいってきた。床の上に横たわっている彼を見て、彼女は声をたて、恐れて立止った。彼は憤然と頭をもたげた
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