は、おそらく彼女がいだいてる愛情を募らせるだろうと、彼は思っていた。
彼は停車場へかけつけた。やはり多少の心残りを感じた。しかし汽車が動き出すとすべてを忘れてしまった。心が青春の気に満ちてるような気がした。屋根や塔の頂が太陽から薔薇《ばら》色に染められてる古い町に向って、快活に挨拶《あいさつ》をした。そして出発する者のこだわりない気持をもって、残ってる人たちに別れを告げ、もはやそのことを考えなかった。
デュッセルドルフやケルンにいる間、彼は一日もザビーネのことを頭に浮べなかった。朝から晩まで、音楽会の試演や公演に没頭し、会食や談話に夢中になり、沢山の新奇な事物や成功の驕慢《きょうまん》な満足に気を奪われて、思い出す隙がなかった。ただ一度、出発後五日目の夜に、悪夢のあと急に眼を覚《さま》した時、眠りながら彼女[#「彼女」に傍点]のことを考えていて、その考えのために眼が覚めたことを、彼は気づいた。しかし、どうして[#「どうして」に傍点]彼女のことを考えたかは思い出せなかった。悩ましくて胸騒ぎがしていた。それは別に不思議でもなかった。その晩彼は、音楽会で演奏し、会場を出ると、夜食の宴に引
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