。……そうだ、すべてが美しかった。雲は散り失《う》せていた。アーダは彼の手にもどっていた。彼は二人の間の氷を砕くことができたのだった。二人はまた愛し合っていた。もはや一体にすぎなかった。彼は安堵《あんど》の息をついた。いかに空気も軽やかだったことか! アーダが彼にもどってきたのだ……。すべてが彼に彼女のことを思わせた。……少し天気が湿っぽかった。彼女は寒くはないだろうか?……美しい木立に白く水気が凍りついていた。彼女に今それを見せられないのが残念だ。……しかし彼は勝負のことを思い出した。そして足を早めた。道を間違えないように用心した。目的地に着くと、意気揚々として言った。
「僕たちが先《さき》だ!」
 彼は愉快そうに帽子を振った。ミルハは微笑《ほほえ》みながら彼をながめていた。
 二人がいる場所は、森の中の長い険しい岩だった。榛《はしばみ》といじけた小樫《こがし》とがまわりに茂ってる頂上の高台から見おろすと、木立のある斜面や、紫色の靄《もや》に包まれた樅《もみ》の梢《こずえ》や、青々とした谷間を流れるライン河の長い帯が見えていた。小鳥の声もしなかった。人声もしなかった。そよとの風もなかった。どんよりした太陽の蒼白《あおじろ》い光に寒げにあたたまってる、しみじみと静まり返った冬の一日であった。遠くには時々、汽車の短い汽笛が谷間に響いていた。クリストフは岩の端に立って、その景色にながめ入った。ミルハはクリストフをうちながめていた。
 彼は機嫌《きげん》のいい様子で彼女の方へ振り向いた。
「どうだい、怠惰者《なまけもの》たちだなあ、僕が言ってやったとおりだ!……よし、待っててやれ……。」
 彼は亀裂《ひび》のはいった地面の上に、日向《ひなた》に寝そべった。
「そうよ、待ってましょう……。」とミルハは帽子を脱ぎながら言った。
 彼女の口調には、いかにも嘲《あざけ》り気味がこもっていたので、彼は身を起こして彼女をながめた。
「どうなすったの?」と彼女は平然として尋ねた。
「今なんと言ったんだい?」
「待ってましょうと言ったのよ。あんなに早く私を歩かせるには及ばなかったでしょう。」
「そうだね。」
 彼らはでこぼこした地面の上に、二人とも寝ころんで待った。ミルハは低い声である歌を歌った。クリストフはそのところどころを口ずさんだ。しかし彼はたえずそれを途切らしては耳を傾けた。

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