リストフはあわてて言った、「どうかご免ください。私はよく考えてみました。もう何にもお願いしません。」
 老人はそのにわかの撤回について説明を求めようとはしなかった。彼はクリストフをさらに注意深く眺め、咳《せき》払いをし、そして言った。
「クラフト君、君が手にもってる手紙を、わしに渡してごらん。」
 クリストフは、知らず知らず拳《こぶし》の中に握りつづけていた書面を、監理官がじっと見つめてるのに、気がついた。
「もうよろしいんです、閣下。」と彼はつぶやいた。「もうそれには及びません。」
「さあ渡してごらん。」と老人はその言葉を聞かなかったかのように平然と言った。
 クリストフはなんの気もなく皺《しわ》くちゃの手紙を渡した。しかしこんがらかった言葉をやたらに言いたてながら、手紙を返してもらおうとしてなお手を差出していた。閣下は丁寧に紙を広げ、それを読み、クリストフを眺め、やたらに弁解するままにさしておいたが、それから彼の言葉をさえぎり、意地悪そうな色をちらと眼に浮べて言った。
「よろしい、クラフト君。願いは聴《き》き届けてやる。」
 彼は片手で隙《いとま》を命じて、また書き物にとりかかった
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