きなかった。
 彼は愛情深い男であった。しかし彼のうちでは、何物よりも健康が最も力を振っていた。悲哀にたいする生理的な嫌悪《けんお》の情、フラマン人風の粗野な快活にたいする嗜好《しこう》、子供らしい大笑い、などを彼はそなえていた。どんな悲痛なことがあろうとも、杯の数を一つ減らしたこともなく、御馳走《ごちそう》を一口ひかえたこともなかった。かつて音楽を休んだことがなかった。宮廷の管弦楽は彼の指揮のもとに、ライン地方でかなりの名声を得た。そしてジャン・ミシェルは、その格闘者めいた体格と激しい疳癪《かんしゃく》とで、広く人の噂《うわさ》になっていた。彼はいかに努めても、おのれを制することができなかった。彼は元来小心で、危い破目に陥ることを恐れていたし、また礼儀を好み評判を気にしていたので、非常に努力をした。しかしいつも血気の情に負かされた。眼の前が真赤になった。突然狂猛な苛立《いらだ》ちにとらえられた。管弦楽の下稽古《したげいこ》の時ばかりではなく、公《おおやけ》の演奏の最中にもそうだった。大公の面前で、怒りたって指揮棒を投げすて、激しい急《せ》き込んだ声で楽員のだれかを詰問しながら、気でも
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