たちが無頓着《むとんじゃく》に室内を通るのに、彼は驚きまた多少気を悪くしている。彼は裳衣《しょうい》の襞《ひだ》をつかまえて母親を引き止める。「このとおり水だよ! 橋を通らねばいけないよ。」――橋というのは、菱形の赤い床石の間につづいてる小溝《こみぞ》である。――母親は彼の言葉を耳にもかけないで通ってゆく。ちょうど戯曲作家が自作の開演中に勝手な話をしてる観客を見る時のように、彼はじれている。
次の瞬間には、彼はもうそんなことは考えていない。床石はもう海ではない。彼は長々と床石の上にねそべって、石の上に頤をつけ、自分で作り出した音楽を口ずさみ、涎《よだれ》を垂らしながら真面目《まじめ》くさって親指を舐《ねぶ》っている。床石の間にある割目に見入っている。菱形のその列が人の顔のようにしかめる。眼にもつかないような小さな穴が、大きくなって谷になる。そのまわりにはいくつも山がある。一匹の草鞋虫《わらじむし》がはっている。それが象のように大きい。雷が落ちても子供の耳にははいらないだろう。
だれも彼にかまってくれない。彼はだれにも用はない。靴拭蓆《くつふきむしろ》の舟、奇怪な獣のいる床石《ゆかい
前へ
次へ
全221ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング