た話ではなかった。頭も尾もなかった。辛《かろ》うじて時々はっきりした象《すがた》を見るだけだった。菓子をこしらえながら、指の間に残ってる捏粉《ねりこ》を包丁で取ってる母親――前日河に泳いでるところを見かけた溝鼠《どぶねずみ》――柳の枝でこしらえたいと思っていた鞭《むち》……。それらの記憶がどうして今彼に浮かんできたかは、神のみが知るところである。――しかしたいていは、まったく何も見えなかった。それでもたくさんのものを感じていた。何かきわめて大切なものが山ほどあるかのようだった、いつも同じようにしてるので、またはっきり知れきってるので、口にいうことができないような、あるいは言っても無駄《むだ》なような、きわめて大切なものが。その中には、悲しいのもあった、死ぬほど悲しいのもあった。けれどそれらは、人生において出会うのと違って、なんら苦しいところをもたなかった。父から殴られた時のように、あるいは恥ずかしさで胸をしぼりながら何かの屈辱を考える時のように、醜くもなければ卑《いや》しくもなかった。ただ憂鬱《ゆううつ》な静けさで頭がいっぱいになった。それからまた、喜びをどっとふりまいてくれる輝かしい
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