風が、濡れた樹木の枝から振い落す小雨にも似ていた。彼は手をたたいて叫んだ、「もっと!」しかしメルキオルは、くだらない品だと言いながら、軽蔑《けいべつ》の様子でピアノの蓋《ふた》をしめてしまった。クリストフはそのうえせがまなかった。けれども彼はたえずその楽器のまわりをうろついた。そしてだれもこちらを見ていないと、蓋をもち上げて、鍵《キイ》を押した、あたかも何か大きな虫の青い甲羅《こうら》を指先で動かすかのように。彼はその中にはいってる動物をつつき出したかった。時とすると、気が急《せ》くあまり、少し強すぎるくらいに鍵をたたくこともあった。すると母に叱られた。「静かにしておいでったら。手を触れちゃいけません!」あるいはまた、蓋をしようとして手をはさまれた。彼は痛めた指先をしゃぶりながら、悲しそうに顔をしかめていた……。
 今や彼のいちばん大きな喜びは、母が一日雇われて出かけてゆく時か、町に用達《ようたし》に出かける時かであった。彼は階段を降りてゆく足音に耳を傾ける。足音は早くも表に出で、しだいに遠ざかってゆく。彼は一人きりである。ピアノを開き、椅子《いす》を近寄せ、その上にすわる。肩が鍵盤《
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