上手《じょうず》に演奏することができた。またごく話し上手で、多少鈍重ではあるが様子がよく、ドイツにおいて古典的な美男子とさるる型《タイプ》に属していた。落着いた広い額、道具の大きな正しい顔立、縮れた髯《ひげ》、まったくライン河畔のジュピテルであった。ジャン・ミシェル老人はこの息子の成功を楽しみにしていた。彼はみずからいかなる楽器をもうまく演奏することができなかったので、達人の技芸に接するとそれに聞き惚《ほ》れるのだった。確かにメルキオルは、自分の考えを表現するのに困難を覚ゆるような男ではなかった。不幸なことといえば、何にも考えないことだった。そして彼自身はそんなことを気にもしなかった。彼はまさしく凡庸《ぼんよう》な役者と同じ魂をもっていた。凡庸な役者は、台詞《せりふ》の意味には気もかけず、ただ台詞回しにばかり注意し、聴衆に及ぼすその効果を、得々として細心に見守っているものである。
 最もおかしなことには、ジャン・ミシェルもそうであったが、彼は舞台上の自分の態度にたえず気を配っていたし、また社会的因襲を恐れ尊んでいたけれども、それにもかかわらずなお、調子はずれな突飛な軽率な様子をいつももっていた。そのために世間からは、クラフト家の者は皆多少狂人じみたところがあると言われた。そしてそんな噂《うわさ》も、初めのうちは別に彼を傷つけはしなかった。そういう風変りの性質こそかえって、彼が天才であることを証するものであると思われた。芸術家には何か独特な点があるものだということは、識者の間に認められてることだから。しかし人々はやがて、かかる突飛な行動の性質に注意を向けてきた。その原因はたいてい酒にあった。バッカスは音楽の神である、とニーチェは言った。メルキオルの本能もそれと同意見であった。しかしこの場合には、彼の神は恩知らずだった。彼に欠けてる思想を与えてくれるどころか、彼がもってるわずかな思想をも奪ってしまった。馬鹿な結婚(世間の者にも馬鹿らしく見えたし、その結果彼にも馬鹿らしく見えた)をしてしまった後、彼はますます自制がなくなった。彼は技能をないがしろにした――わずかの間に自己の優越を失ってしまったほど自惚《うぬぼ》れていたのである。他の名人らがにわかに現われてきて、彼に次いで世間の好評を博した。彼にとっては苦々《にがにが》しいことだった。しかし彼は失敗のあげく、元気を振い起こ
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