えたのであろうか?――しかしペンを手にするや否や、彼は静寂のうちにただ一人ぽつねんとしてる自分を見出した。そして消え失せた声を呼びもどそうといくら努力しても、結局は、メンデルスゾーンやブラームスなどの耳慣れた旋律《メロディー》が聞えてくるにすぎなかった。
「世には不幸な天才がある。」とジォルジュ・サンドが言った。「彼らには表現の方法が欠けていて、人知れぬ自分の瞑想《めいそう》を墳墓のうちに持ってゆく。著名なる唖者や吃者《どもり》の仲間の一人たる、ジォフロア・サン・ティレールが言ったとおりである。」――ジャン・ミシェルもそういう仲間に属していた。彼はもはや、言語においてと同じように、音楽においてもおのれを発表することができなかった。そしていつも幻をえがいていた。話すこと、書くこと、大音楽家になること、雄弁家になること、それをどんなにか望んだであろう! そこに彼の秘密な傷口があった。彼はそれをだれにも語らず、自分自身にも押し隠し、考えもすまいとつとめた。しかしいつも我知らずその方へ考が向いていった。そして心の中に死の種が下されていた。
 あわれなる老人! 何事においても、彼は完全に自分自身であることを得なかった。彼のうちにはいかにも多くの美しい力強い芽が存していたけれども、一つとして生長するに至らなかった。芸術の威厳と人生の精神的価値とにたいする感動すべき深い信念、しかしその信念は、往々にして誇大|滑稽《こっけい》な様子で外に現われていた。いかにも多くの貴い自尊心、しかも実生活においては、長上にたいするほとんど奴隷的な賞賛。独立|不覊《ふき》を欲するいかにも高い願望、しかも事実においては、絶対の従順。自由精神を有してるとの自負、しかも、あらゆる迷信。勇壮にたいする熱愛、実地の勇気、しかも、多くの無気力。――中途にして立止る性格であった。

 ジャン・ミシェルは自分の大望を息子の上に投げかけていた。そしてメルキオルには初めのうち、それらをやがて実現するかもしれない望みがあった。彼はすでに幼年時代から、音楽にたいする稀《まれ》な天賦の才を見せていた。きわめてやすやすと音楽を習得したし、また早くからヴァイオリニストとしてりっぱな技倆《ぎりょう》を修めえた。そのために彼は長い間、宮廷音楽会の寵児《ちょうじ》となり、ほとんど偶像のように尊ばれた。なおピアノや他の楽器をも、いたって
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