が出て来たりしないような小説にして下さい。わたしは水死した人たちのことを見たり聞いたりするのが恐ろしくってね」
「今日《こんにち》では、もうそんな小説はありませんよ。どうです、ロシアの小説はお好きでしょうか」
「ロシアの小説などがありますか。では、一冊届けさせて下さい、ポール。きっとですよ」
「ええ。では、さようなら。僕はいそぎますから……。さようなら、リザヴェッタ・イヴァノヴナ。え、おまえはどうしてナルモヴが工兵隊だろうなどと考えたのだ」
 こう言い捨てて、トムスキイは祖母の部屋を出て行った。
 リザヴェッタは取り残されて一人になると、刺繍の仕事をわきへ押しやって、窓から外を眺め始めた。それから二、三秒も過ぎると、むこう側の角の家のところへ一人の青年士官があらわれた。彼女は両の頬をさっと赤くして、ふたたび仕事を取りあげて、自分のあたまを刺繍台の上にかがめると、伯爵夫人は盛装して出て来た。
「馬車を命じておくれ、リザヴェッタ」と、夫人は言った。「私たちはドライヴして来ましょう」
 リザヴェッタは刺繍の台から顔をあげて、仕事を片付け始めた。
「どうしたというのです。おまえは聾《つんぼ》か
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