敬虔《けいけん》な恋の告白であった。しかもリザヴェッタはドイツ語についてはなんにも知らなかったので、非常に嬉しくなってしまった。
それにもかかわらず、この手紙は彼女に大いなる不安を感じさせて来た。実際、彼女は生まれてから若い男と人目を忍ぶようなことをした経験は一度もなかったので、彼の大胆には驚かされもした。そこで、彼女は不謹慎な行為をした自分を責めるとともに、このさきどうしていいか分からなくなって来た。とにかく、もう窓ぎわに坐るのをやめて、彼に対して無関心な態度をとり、自分とこのうえ親しくしようとする男の欲望を断たせるのがよいか。あるいはその手紙を彼に返すか、または冷淡なきっぱりした態度で彼に拒絶の返事を書くべきであるか。彼女はまったく決断に迷ったが、それについて相談するような女の友達も、忠告をあたえてくれるような人もなかった。リザヴェッタはついに彼に返事を書くことに決めた。
彼女は自分の小さな机の前に腰をかけると、ペンと紙を取って、その文句を考えはじめた。そうして、書いては破り、書いては破りしたが、結局彼女が書いた文句は、あまりに男の心をそそり過ぎるか、あるいは素気《すげ》なくあり過ぎるかで、どうも思ったように書けなかった。それでもようようのことで、自分にも満足の出来るような二、三行の短い手紙を書くことが出来た。
――彼女はこう書いた。
「あなたのお手紙が高尚であるのと、あなたが軽率《けいそつ》な行為をもってわたくしをお辱《はずか》しめなさりたくないとおっしゃることを、わたくしは嬉しく存じます。しかし、わたくしたちの交際はほかの方法で始めなければなりません。わたくしはひとまずあなたのお手紙をお返し申しますが、どうぞ不躾《ぶしつけ》な仕業《しわざ》とお怨み下さりませぬよう、幾重にもお願い申します」
翌日、ヘルマンの姿があらわれるやいなや、刺繍の道具の前に坐っていたリザヴェッタは応接間へ行って、通風の窓をあけて、青年士官が感づいて拾いあげるに相違ないと思いながら、街の方へその手紙を投げた。
ヘルマンは飛んで行って、その手紙を拾い上げて、近所の菓子屋の店へ行った。密封した封筒を破ってみると、内には自分の手紙とリザヴェッタの返事がはいっていた。彼はこんなことだろうと予期していたので、家へ帰ると、さらにその計画について深く考えた。
それから三日の後、一人の晴れやかな眼をした娘が小間物屋から来たといって、リザヴェッタに一通の手紙をとどけに来た。リザヴェッタは何かの勘定の請求書ででもあるのかと、非常に不安な心持ちで開封すると、たちまちヘルマンの手蹟に気がついた。
「間違えているのではありませんか」と、彼女は言った。「この手紙は私へ来たものではありません」
「いえ、あなたへでございます」と、娘は抜け目のなさそうな微笑を浮かべながら答えた。「どうぞお読みなすって下さい」
リザヴェッタはその手紙をちらりと見ると、ヘルマンは会見を申し込んで来たのであった。
「まあ、そんなこと……」と、彼女はその厚かましい要求と、気違いのような態度にいよいよ驚かされた。「この手紙は私へのではありません」
そう言うと、彼女はそれを引き裂いてしまった。
「では、あなたへの手紙でないなら、なぜ引き裂いておしまいになったのでございます」と、娘は言った。「わたくしは頼まれたおかたに、そのお手紙をお返し申さなければなりません」
「もうこれから二度と再び手紙などを私のところへ持って来ないがようござんす。それから、あなたに使いを頼んだかたに、恥かしいとお思いなさいと言って下さい」と、リザヴェッタはその娘からやりこめられて、あわてながら言った。
しかしヘルマンは、そんなことで断念するような男ではなかった。毎日、彼は手を替え品をかえて、いろいろの手紙をリザヴェッタに送った。それからの手紙は、もうドイツ語の翻訳ではなかった。ヘルマンは感情の湧《わ》くがままに手紙を書き、彼自身の言葉で話しかけた。そこには彼の剛直な欲望と、おさえがたき空想の乱れとがあふれていた。
リザヴェッタはもうそれらの手紙を彼にかえそうとは思わなくなったばかりか、だんだんにその手紙の文句に酔わされて、とうとう返事を書きはじめた。そうして、彼女の返事は少しずつ長く、かつ愛情がこもっていって、ついには窓から次のような手紙を彼に投げあたえるようにもなった。
「今夕は大使館邸で舞踏会があるはずでございます。伯爵夫人はそれにおいでなさるでしょう。そうして、わたしたちはたぶん二時までそこにおりましょう。今夜こそは二人ぎりでお会いのできる機会でございます。伯爵夫人がお出ましになると、たぶんほかの召使いはみな外出してしまって、お邸にはスイス人のほかには誰もいなくなると思います。そのスイス人はきまって自分の部屋へ下
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