Bわしの動悸は狂ほしく鼓動して蟀谷《こめかみ》のあたりには蛇の声に似た音が聞えるかとさへ疑はれる。汗が額から滝の如く滴るのも、丁度わしが大きな大理石の板を擡げでもしたやうに思はれるのである。そして其処には実にクラリモンドが横はつてゐた。わしの得度《とくど》の日に見たのと寸分も違ひなく横はつてゐた。彼女の姿は其時と変りなく美しい。「死」も彼女にとつては、最後の嬌態に過ぎないのである。青ざめた頬、やゝ色の褪せた唇の肉色、其白い皮膚に黒い房をうき出させる長い睫毛、其等の物が皆彼女に悲しい貞淑と内心の苦痛との云ふ可らざる妖艶な容子を与へてゐる。未だ小さな青い花で編んである長い乱れ髪は、彼女の頭にまばゆい枕を造つて、其房々した巻き毛は、裸身《はだかみ》の肩を掩つてゐる。聖麺麭よりも清く、浄らかな美しい手は組合せたまゝ、清浄な安息と無言の祈祷とを捧げるやうに、胸の上にのつてゐる。未だ真珠の腕輪も外さない、裸身《はだかみ》の腕が象牙のやうにつや/\と、円《まど》かな肉附きを見せてゐる艶めかしさに――死後さへも猶――之のみが、反抗の意を示してゐるのである。わしは長い間、無言の黙想に沈んでゐた。すると、
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