怪奇人造島
寺島柾史

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)南京《ナンキン》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)冷凍船|虎丸《タイガーまる》には、

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(例)[#「どろぼう」に傍点]
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   一 怪汽船と怪老人

     どろぼう船

 冷凍船|虎丸《タイガーまる》には、僕(山路健二)のほかに、もう一人ボーイがいた。それは、南京《ナンキン》生れの陳秀峰《チャンチューホー》と、自ら名乗る紅顔の美少年だ。
 ピコル船長|附《つき》のボーイだから、僕のような、雑役夫《ざつえきふ》にひとしいボーイと、めったに話合う機会もなかったが、船が函館港を出帆し、北上してから三昼夜目、すでに北千島圏内に入ったある日、後甲板で、二人は、ひょっこり出会った。すると、陳《チャン》君は、流暢《りゅうちょう》な日本語で、僕にそっと話かけた。
「カナダのH・G汽船会社の所属船が、どうして、僕等のような東洋人を雇うのか、君は、知っているかい」
 まるで、少女のように優しい声だ。僕は、何となく親しみを覚えて、
「それは、東洋人は、安い給金で雇えるからだろう」
「うん、それもある。だが、もっと他にも理由《わけ》があるよ。だいち、この船は、どろぼう[#「どろぼう」に傍点]船《ぶね》だってことを、君は、知ってやしまい」
「え! どろぼう船?」
「叱《し》ッ!……この船はね、表面は、カナダから日本の北千島へ、紅鮭《べにざけ》を買いにいく冷凍船とみせかけているが、じつは、千島の無人島で、ラッコやオットセイを密猟する、国際的どろぼう船なのさ」
「へえ。じゃ、僕等も、どろぼうの手下にされたのかい」
「まアそうだ。しかも、さんざ、コキ使ったあとで、密猟が終り、満船して本国へ帰る途中、臨時に雇った水夫や、君たちのようなボーイを海ン中へ放り込んでしまうに都合がいいからだよ。つまり、東洋人を人間扱いにしていないのだ」
「どうして、海ン中へ放り込むのさ」
「この船の船員は、みんなピコル船長の乾児《こぶん》だろう。だから安心だが、臨時に雇った水夫やボーイたちは、上陸すると、この船の悪事を、みんな洩《もら》してしまう。それが怖《おそ》ろしいので、毎年横浜や函館で、東洋人の水夫や、ボーイを雇って、北洋へ連れて往《い》き、うんとコキ使って、不用になると、帰航の途中、海ン中へ放り込んでしまうのだ」
 僕はこれをきくと、おもわず、義憤の血の湧《わ》き立つのを覚えた。
「ひどいことをするなア。こんな船に、一刻も乗ってられやしない。途中で、脱船しなくちゃ……」
「そうだよ。僕は、毎日そのことを考えているのさ」
「だって君は、船長に可愛《かわい》がられているから、海ン中へ放り込まれる心配は無いじゃないか」
「いや、僕も東洋人だ。同じ東洋人のために、兇暴《きょうぼう》な白人と戦わねばならない」
 陳君は、昂然《こうぜん》と肩を聳《そびや》かした。
 それにしても、どうして、この怖ろしい密猟船を脱することが出来ようか。

     脱船か奪船か

 虎丸《タイガーまる》は、案の定、北千島の無人島オンネコタン島近海で、白昼公然とラッコやオットセイを密猟した。それから、日本の極北パラムシロ島近海へ往って、何食わぬ顔で、日本の漁船から、紅鮭《べにざけ》をうんと買込んで、ラッコやオットセイといっしょに、冷凍室に詰込んでしまった。
 それは、日本の監視船や、警備艦の眼を、巧みに脱《のが》れるためだった。こうしておいて、ふたたび、千島の無人島を荒し廻ろうというのだ。
 虎丸《タイガーまる》が、パラムシロ近海を去って南下したのは、八月上旬だった。そして、数十海里南西のアブオス島に向った。この沿岸は、ラッコの棲息地《せいそくち》として名高いし、また洋上には、オットセイが、おびただしく群游《ぐんゆう》する。白人の密猟者にとっては、千島第一の猟場なのだ。
 虎丸は、アブオス島沖に仮泊すると、いよいよ最後の密猟を開始した。五|艘《そう》の端艇《ボート》は、早朝から、海霧を破って猟に出かけるが、夜半には、いずれも満船して戻ってくる。船長はじめ、乗組員たちはハリ切っている。哀れな臨時雇の水夫たちも、あとで海ン中へ放り込まれるとは知らずに、やはりハリ切っている。
 こうして、祖国の領海が、白人密猟者のために、さんざ荒されるのを傍観して、僕は、おもわず、腕を扼《やく》し、義憤の涙に瞼《まぶた》を濡らすのだったが、多勢に無勢、なんとも手の下しようがない。ある朝、船長はじめ、みんなが、相変らず猟に出かけたあとで、陳《チャン》君は、船長室からやってきて僕に耳打ちした。
「君、奴等《やつら》の密猟も、あと二、三日だぜ。いまのうちに何とかしないと、生命《いのち》があぶないぞ」
「うむ。僕も、あせっているが、妙案がないので弱っている。僕は、最後の手段として、火薬庫に忍込んで、日本の領海を荒し廻るこの船を、一挙に爆破してやりたいくらいだ」
「なるほど……。だが、爆破したら、君も僕も、木葉微塵《こっぱみじん》になってしまうじゃないか」
「仕方がない。みすみす奴等に殺されるよりか……」
「爆弾勇士は、僕は、不賛成だ」
「え! どうして?」
「もっと、旨《うま》い考えがあるからさ。僕なら、この船を奪ってやるよ」
「へえ、船を奪う?……。いったい、そんなことが出来るかい」
「出来るとも、見ていたまえ」
 陳君は、確信ありげにいうが、彼とて、たかが船長|附《つき》のボーイではないか、お茶を運んだり、靴を磨いたり、寝台の毛布を畳《たた》んだりする役目のボーイが、この千五百|噸《トン》級の汽船を、海賊たちから易々《やすやす》と、奪うことが出来るものか。
「どうして、この船を奪うのさ」
「なアに、わけはないよ。今から、君は運転士になればいいのさ。僕は、機関士。いいだろう。奴等の留守の間に、二人で、この巨船を動かして、一路横浜へ凱旋《がいせん》するンだ。愉快じゃないか」
「なるほど、海賊たちを、北洋に置去りして、そのまに横浜へ往くのか。こいつは妙案だ」
 僕は、陳君の奇計に、おもわず手を拍《たた》いた。が、考えてみると、この奇計も、やっぱり、少年だけの智慧《ちえ》しかないとおもった。
「僕も君も、素人だぜ。この巨船を運転することが出来やしないじゃないか」
 陳君は、微笑《ほほえ》んだ。
「君は、むざむざ、太平洋の真ン中で、鱶《ふか》の餌食《えじき》になりたいのか」
「いや、そいつも真ッ平だ」
「じゃ、僕の計画どおりにしたまえ。君は、一等運転士、そして、僕は、機関士。いいかい。僕は、すぐに機関室へ降りて往って、機関《エンジン》を動かすぜ。絶好の機会だ」
 陳《チャン》君は、勇躍一番、そのまま、甲板から姿を消してしまった。

     あッ! 機関が停《とま》った

 僕は、一等運転士を押付けられて、さすがに不安だった。船には、僕等のほかに、当番水夫が四、五人残っているだけだった。それだけの人数で、この巨船を横浜まで回航できるだろうか。素人だけで、こんな汽船を動かせたら、それこそ奇蹟《きせき》だろう。が、運転室におさまってみると、急に緊張し、さすがに責任を痛感した。
「よしッ! 死んでも、横浜まで往ってみせるぞ」
 僕は、ハンドルを握った。コンパスや海図と睨《にら》めっこして待っていると、やがて、機関室へ降りて往った陳君が、出帆を僕に促すために、不意に勇ましく汽笛を鳴らした。
 ボー。ボー。ボー……。
 余韻《よいん》は長く、北洋の空に響いたが、それは、白人の密猟者に挑戦する、進軍ラッパのようだった。
 果して、汽笛の音を聞きつけると、彼方《かなた》の入江、此方《こなた》の島影から、端艇《ボート》が姿を現わし、本船目指して漕《こ》ぎ寄せてくる。
「おーい」「おーい」
 と、船長はじめ、乾児《こぶん》たちは、声のかぎり絶叫し、死物狂いにオールを漕いでくる。
「ざまア見ろ、みんな無人の孤島で餓死してしまえ」
 僕は、愉快になって、ハンドルを力いっぱい回した。素人運転士の僕だが、白人を克服せんとする意気で、柔腕《やさうで》にもかかわらず、千五百|噸《トン》の巨船が自由自在に動き、舵機《だき》も、スクリウも、僕の命ずるがままになってくれる。同じ素人の陳君も、旨くやってくれているとみえて、機関の音も軽快に響いてくる。
 船首は、南々西に向っている。速力は十四、五|節《ノット》はあろう。北洋の三角波を、痛快に破って快走をつづけた。みると、置去りを食った海賊たちは、端艇のうえで、手を挙げ、足を踏み鳴らして去り往く本船に追い縋《すが》ってくる。
「おーい」「待ってくれい」死物狂いの叫びだ。僕は、いよいよ愉快になって応酬してやった。
「やーい。口惜《くや》しかったら、泳いで来い」
 そのまに、彼我《ひが》の距離は、またたくまに遠ざかり、やがて、五艘の端艇《ボート》は、海霧の彼方に姿を没してしまった。船長ピコルはじめ、海賊たちは、どんなに口惜しがっていることだろう。地団太《じだんだ》踏んで、わめき立てているさまを想像すると、滑稽《こっけい》でもあった。二時間ほど、盲目滅法《めくらめっぽう》に快走をつづけたが、どうしたことか、左手に島影も発見できない。コンパスや海図と睨めっくらしてたしかに、北千島列島を左にして、南々西に針路を向けているのだから、次の無人島を左手に眺望できなければならぬ。海図では、アブオス島の南方には、マカルス島が連なり、それからオンネコタン、カアレンコタン、イカルマなどの諸島が、飛石のように列《なら》んでいるのであるからもう島影を発見しなければならぬが、相変らず茫漠《ぼうばく》たる水また水である。
「はてな。もしかしたら、舵機も、スクリウも、僕のいう通りにならないのかしら」
 そうおもうと、不安は、刻々にましてくる。このまま、針路を誤り、航行をつづけるならば、世界の果ての魔の海へまでも往ってしまうかもしれない。
 が、そんな不安はまだ生優《なまやさ》しかった。やがてのこと、不意に、船の心臓ともいうべき機関の音がピタと停ってしまった。
「あッ!」僕は、おもわず失策《しま》った! とおもった。

     水葬にしろ

 素人機関士の陳《チャン》君が、船橋《ブリッジ》を駈け登って来た。
「山路君。とうとうやっちゃったよ」
「えッ! 何をやった?」
「機関《エンジン》が急に停ったのだが、どこが故障か、てんで解《わか》らないよ」
「そいつは、困ったなア」
「僕が、機関の故障を発見できないくらいだから、君にだって解るはずはないし、もちろん、水夫たちにも解るまい。……山路君、仕方がないから、運を天に任して漂流しよう」
「まア、それよりほかに、手段もないじゃないか」
 僕は、未練にもまだハンドルを握っている。それをみて、陳君は、
「とにかく、機関が停っては、君がここに突立って、コンパスと睨めっくらしていたって無駄さ。船長室へ往って、午睡《ひるね》でもするさ」
 二人は、悄然《しょうぜん》として階段を下りた。
 中甲板をおり立つと、どこにいたのか、五人の水夫が、不意に現われて、二人の前に立塞《たちふさが》った。
「|停れ《ストップ》――」太い低音《バス》で叫んだのは、髪の縮れた、仁王のような安南人だ。右手を突出《つきだ》し、ピストルの銃口を二人の胸に向けた。
「やい小僧。てめえたちは、とんでもねえことをしてくれたな。さア、はやく機関を動かせ」
 陳君は、落着払って、
「故障で動かないのだ。このうえは、潮流に乗って漂うまでさ」
「漂流?……よろしい。……で、小僧、てめえたちは、このピストルが怖くはねえのか。怖かったら、乃公《おれ》に降伏しろ」
「降伏?」
「そうだ。本船では、乃公が一番の強者だ。何故《なぜ》なら、乃公はピストルを持っている。そこで、強者の乃公は、ピコル船長に代って、今から船長様だ。てめえたちも、乃公の命令に従うがいい」
「黙れ! 縮毛。船長は、この僕だ。おま
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