えこそ、われわれ二人の部下じゃないか」陳君が、肩を聳《そびや》かすと、縮毛の大男は、大口開いて笑った。
「ワハ……。小僧、大きく出たな。だが、いくら力んでも、どうにもならんさ。この船の宝物は、乃公のものだ。絶対に手を触れることはならぬ」
「うぬ!」陳君は、隙《すき》をみて、縮毛の大男の右手を叩《たた》きつけた。
「あッ!」ピストルは、甲板に落ちた。僕は、素早くそれを拾おうとしたが、同時に荒鷲《あらわし》のような手がそれに伸びた。
「何を!」
「やるか」僕と、べつな水夫とは、野獣のように組打ちとなった。
「さア来い。小僧!」
「何を! 大僧!」
陳君と縮毛の大男も、その場で格闘をはじめた。他の水夫たちも、これを傍観しなかった。二組の格闘のうえに、折重なって、烈《はげ》しい乱闘となった。
が、二人は、衆寡《しゅうか》敵《てき》せず、忽《たちま》ち甲板上で、荒くれ水夫たちに組敷かれてしまった。
「太い小僧だ。銃殺にしろ。……いや、それよりか、一束にして、水葬にしてしまえ」
縮毛の大男は、怒号した。
水夫たちは、麻縄《ロープ》を持ってきて、僕と陳君を一緒にして、ぐるぐる巻にしてしまった。
僕も陳君も、観念して、もう抵抗はしなかった。白人海賊たちの手で、海ン中へ叩き込まれる代りに、こんどは、中国や安南の水夫たちのために、同じ水葬の憂目をみなければならないのか。
中甲板の乱闘
いよいよ、生きながら水葬にされるのだ。僕は、眼を瞑《つむ》った。と、このとき、水夫の一人が、縮毛の大男に向って、念を押した。
「で、何かい。冷凍室のラッコの分配は、どういうことになるンだ」
縮毛の大男は、空嘯《そらうそぶ》いた。
「船長の乃公《おれ》の自由さ」
「何に! てめえが船長だと?」
「むろんさ。ピコル親分に代って、きょうから乃公が船長様だ。つまり、この船で一番強い人間が、宝物を独占していいわけだ」
「よし、じゃ誰が一番強いか、腕ずくでいくか」
「やるか!」
縮毛の大男と、若い水夫とが、野獣のような唸《うめ》きを立てて、たちまち、肉弾《にくだん》相《あい》搏《う》つ凄《すさ》まじい格闘をはじめた。慾《よく》の深い水夫たちは、二人の勝敗|如何《いか》にと、血眼《ちまなこ》になってこの格闘を見守っている。
「う……」若い水夫は、低い唸きを立て、縮毛の大男の胸に打かっていくが、そのたびに、甲板に投げ飛ばされた。
「おのれ!」
起《た》ち上って、また突進すると、面倒なりとばかり、大男は、怪腕を揮《ふる》って、若い水夫の顔面に一撃を加えた。
「あッ!」
そのまま、鮮血に染って倒れるやつを、足をあげて、脇腹を蹴《け》ると、急所をやられたか、そのまま息絶えた様子。このさまを見て、他の水夫――頬《ほお》に創痕《きずあと》のある物凄《ものすご》い男が、
「よしッ! 兄弟の仇《かたき》だ! 来い」と、叫んで、縮毛の大男に突進した。が、これも、たちまち、血だらけになって、その場にへたばってしまった。
「口ほどもねえ奴等だ。さア、われとおもわん者は、来い!」縮毛の大男は、仁王立ちになって、四辺《あたり》を睨め廻したが、この勢いに辟易《へきえき》してか、誰もあとに続くものがない。
「誰もいないか、自信のある奴がなければ乃公《おれ》が一番強いのだ。腕ずくで、宝物は乃公の自由にするまでさ」が、このとき、背後にいた水夫の一人が、二、三歩前に進み出で、
「いや、船長は、この乃公だ」と、力強く叫んだ。
「何に! どいつだ」
縮毛の大男が、振りかえった途端。
ズドン! と一発、銃声が起った。
「あッ!」胸を射貫《いぬ》かれて、大男は、もろくも、甲板に殪《たお》れてしまった。
ピストルを握った、豹《ひょう》のような水夫は、続けさまにピストルを乱射した。そして、中甲板を逃げまどう残りの水夫の背後《うしろ》に、一発お見舞申してしまった。甲板は血に染み、四人の水夫の屍骸《しがい》が散乱した。ピストルを握った水夫は、会心の笑みをうかべて独言《ひとりご》った。
「これで、きれいさっぱりした。宝船の主人は、つまり、この乃公《おれ》だ」
彼は、麻縄《ロープ》でぐるぐる巻にされ、甲板に転がっている僕等に気がつくと、また、険しい眼付で、ピストルの銃口を向けた。
「待ちたまえ」僕は、落着払って云った。
「何だ!」
「僕等は、冷凍室のラッコなど欲しかないよ、……何よりも、君の勇気に感心した。改めて君の部下になろう」
「…………」
豹のような水夫は、豹《ひょう》のように、疑深く、なおもピストルを、僕の胸に擬《ぎ》したままだ。
「ね、君! この船は、機関《エンジン》の故障で航海が続けられないのだぜ。つまり、漂流船だ。この先、何十日、何百日、海洋を流されるかしれないじゃないか。僕等まで射殺して、たった一人で、太平洋を漂流するなンか、心細いだろう」
豹のような水夫は、肯《うなず》いて、僕等の麻縄を解きはじめた。
怪老人の冷笑
麻縄を解かれて、やっと自由になった。僕も、陳《チャン》君も、雀躍《こおどり》して、中甲板を飛び廻った。
と、豹のような水夫は、何をおもったか、不意にまた、陳君の背後に、ピストルの銃口を向けた。
「あッ! あぶない」
僕は、おもわず絶叫したが、すでに遅かった。兇暴な水夫の放った一弾が、陳君の左肩《さけん》を貫通した。
「あッ!」
と一声、悲鳴をあげて、陳君は、よろよろとその場に倒れてしまった。
「卑怯《ひきょう》だ!」
僕は、水夫を睨みつけながら、駈け寄って陳君を抱いた。
「しっかりしろ。傷は浅いぞ」
血に染った陳君は虫の息で、
「や、山路君。……く、口惜《くや》しい」
「しっかりしろ」
「おなじ、東洋人に、や、やられるとは、……く、口惜しい」
「陳君! か、讐《かたき》は討ってやるぞ。しっかりしろ」
「た、たのむ……。もう、僕は、だ、駄目だ……」
陳君は、僕の手を、かたく握り締めたが、しだいにその力が失われ、ぐったりとなってしまった。
「しっかりしろ」
僕は、猛然と立ち上った。
「何故、罪の無い陳君を射殺《うちころ》したのだ」
豹のような水夫は、ピストルを、僕の胸板《むないた》に突《つき》つけたまま、
「陳の奴は、油断がならねえからやっつけたのだ。小僧、てめえだけは、たすけてやろう」
「いや、断じて妥協はせんぞ。陳君の讐を討ってやろう」
「ハハハハハ。無手《むて》で、このピストルに立向うつもりかい。いくら、日本の少年でも、そいつはいけねえ。乃公《おれ》に降伏しろ」
「黙れ! 日本男児の、鋼鉄のような胸を、射貫《いぬ》けるものなら、討ってみろ」
「ハハハハハ。慈悲をもって、たすけてやろうとおもったが、陳と一緒に、冥途へ往きていなら、一思いに眠らしてやるさ。観念しろ」
豹のような水夫は冷笑をうかべて、ピストルの引金に指をからませた。
と、このとき、何処《どこ》からか、不意に、
「ワハハハハハハ」
と、突破《つきやぶ》ったような笑声が起った。それは、豪快な笑いにかかわらず、僕にも、豹《ひょう》のような水夫にも、死人の笑いのように冷たくきこえたので、振りかえった。
おおそこには、いつのまに現われたのか、船室の降り口のところに、白衣《びゃくえ》を着た、白髪の老人が、亡霊のように立っているではないか。しかも、彼は、歯の無い口を開いて、
「ワハハハハハハ。おまえたち、甲板のうえで、生命のやり取をしても無駄だろうぜ」
と、不気味に、冷たく笑った。
「てめえは、誰だ」
豹のような水夫は、恐怖におびえた眼で、怪老人を睨めつけながら云った。
「わしこそは、この船の主人じゃ。おまえたち、生命のやり取を、止《や》めて、はやく、この船を退散しろ」
「何を!」
水夫は、こんどは、亡霊のような怪老人に、ピストルを向けた。
「ワハハハハハ。若いの、そいつは無駄さ。おまえが、わしの胸を射貫《いぬ》いても、この船には長く居られまいぞ」
「え! 何故だ」
「船底の、火薬庫が、あと三分で、爆発するだろ」
「えッ!」
「わしは、たった今、火薬庫に、導火線を投入れ、その先に火を点《つ》けて来たのさ。導火線は、あと三分。いや二分で、燃え尽きるだろう」
「えッ!」
豹のような水夫は、これをきくと、反射的に駈け出した。たぶん、端艇《ボート》を探し廻ろうというのだろう。だが、端艇は一艘も本船に残っていない。これに気がつくと、水夫は、真蒼《まっさお》になって顫《ふる》え上った。
僕は、このまに船橋《ブリッジ》の柱に架けてあった浮袋《ブイ》を外して、それを身に着けた。何しろ、あと二、三分で、一千五百|噸《トン》の汽船が、爆破して、木葉微塵《こっぱみじん》になるのだ。愚図愚図していられない。僕は、素早く浮袋を身に着けると、そのまま、身を躍らして、海中に飛込んだ。
このさまをみた、豹のような水夫も、急いで、浮袋を身に着けると、僕にならって、海中へ身を躍らした。
亡霊の仕業か
北太平洋の浪《なみ》は、さすがに高かった。
僕も、水夫も、巨浪に飜弄《ほんろう》されながら、懸命に、本船から遠ざかろうと努めた。
が、二分|経《た》っても、五分過ぎても、冷凍船|虎丸《タイガーまる》の火薬庫は爆発しそうにもなく、本船は悠々潮流に乗って、可成《かな》りの速さで、僕等を遠ざかって往《い》く。しかも、甲板のうえでは、白衣の怪老人は、僕等を見送りながら、相変らず、冷笑をうかべている。
「失策《しま》った!」
僕は、おもわず叫んだ。
「ど、どうした?」
水夫は、飛沫《しぶき》を避けながら、僕の方へ近寄ってきて訊《たず》ねた。
「あの、怪老人に、一杯|喰《く》わされたぞ」
「うむ」
「火薬庫が、一向に爆発しないじゃないか。あの怪老人、うまく僕等をだましたのだ」
「なるほど……」
水夫は、今になって、しきりに感心している。
「こうなれば、船に泳ぎついて、あの怪老人を退治てやらねばならん」
僕は、巨浪に逆《さから》って、抜手を切った。水夫は、そのあとを追って、
「だが、船は、潮流に乗って、あの速さで走っているぜ。とうてい追いつけまいよ」
「だが、口惜《くや》しい。あんな、老人にだまされたかとおもうと……」
「それに、あの老人は、ひょっとすると、亡霊かもしれんぜ」
「どうして?」
「だって、本船には、最初からあんな老人が乗組んでなかったはずだ。……そ、それに、乃公《おれ》ア見たが、あの老人には、足が無かったようだぜ」
「そんなことがあるものか。亡霊など出てたまるものか」
「いや。虎丸《タイガーまる》は、これまで北洋で、たくさんの東洋人を殺したので、その亡霊が、老人の姿になって現われたのだろう。乃公は、たしかに見たよ。あいつには、足が無かった」
「じゃ、亡霊が、何のために、僕等を、船から追出したのだ」
「亡霊だって、冷凍室のラッコが欲しいだろう」
「そんな、莫迦《ばか》なことがあるものか。亡霊が、ラッコの皮を売ってどうするンだ」
「なるほど、そいつもそうだ」
水夫は、肯《うなず》いたが、しかし、怪老人の姿をおもいうかべると、ぞっとした。果して亡霊だろうか、仮面の怪人物か。その謎《なぞ》の解けぬうちに、虎丸は、僕等とは、可成り距《へだた》ってしまった。およそ、十数分も経ったが、火薬庫など爆発しやしない。潮流に乗って、悠々と、南々東を指して流れて往く。
僕も、水夫も、北太平洋の真ン中に、置去りにされてしまったのだ。しかも、浮袋《ブイ》一つに生命を托して、ひょうひょうと巨浪に飜弄されている。
もうすでに夕暮だ。赤い太陽が、西の空に沈もうとしている。海は、黄金を撒《ま》いたように輝いているが、それを眺めて楽しむどころではない。夕方でも、この寒さだから、夜になったら、一層寒さが加わるだろう。水が刃《やいば》のように肌を刺し、僕等は、明日を待たず、凍死するにちがいない。
「ひでえことになったなア」
豹《ひょう》のような水夫も、さすがに心細くなったとみえ、今はもう
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