…大鳴門の所在を探し廻ったが、なかなか発見できない。
「何だ、小僧。大渦巻なンか、この近海にありゃしないじゃないか」
「でも、たしかに僕等が、そこを脱《ぬ》けて来たのです」
「夢でも見たんじゃないか」
「そんなことは、ありません」
「とにかく、もう少し探し廻ろう。暗くならないうちに探し当てなければ、救助が出来ないからなア」
 なおも、低空をつづけているうちに、何処《どこ》からか、ごうごうという物凄い音がきこえて来た。
「それ、閣下、大鳴門《おおなると》の音です」
 僕はまた、閣下といってしまった。
「ほいまた閣下かい。ハハハハ。おおなるほど、凄《すさ》まじい音だな。ああ、大渦巻だ」と、叫んで下界を見おろした。なるほど一海里平方もあろうという面積の海上が、大きく、烈しく、凄じく、渦を巻いている。外側はゆるやかに、中心になるにしたがって、急速度に、水がぐるぐる渦巻いている。
「おお、これは壮観」
「こんなところに、こんな難所があるとはおもわなかった」将校も、操縦の下士も、あまりの物凄さに、暫《しば》し見惚《みと》れた。
「はやく、博士たちを救って下さい」
「はやくしないと、死んでしまいます」
「よし来た」将校は、大きく肯《うなず》いて、もう一度渦巻の中心とおぼしい下界を見おろしたが、
「小僧! 幽霊船が、いやしないじゃないか」
 僕も、陳《チャン》君も、びっくりして下界を見おろすと、なるほど、大渦巻の中心に、捲き込まれて、独楽《こま》のようにぐるぐる廻っているはずの、死の船――幽霊船が、姿を見せないではないか。
「どうだ。小僧! やっぱり、おまえたちの夢だ」
「いいえ、たしかに、あの大渦巻に捲き込まれていたのです。僕等は、その幽霊船の甲板から、風船で脱れたのです。博士たちは、船に残っているンです。救《たす》けて下さい」陳君は、寂しげに云った。
「だって、幽霊船が、一向に見当らぬではないか。どうしたというンだ」
 いくら、低空を旋回してみても、渦を巻く海上に、幽霊船の姿を見出すことが出来なかった。
「ああ、やっぱり、ほんとうの幽霊船だったかもしれないね」
 とうとう、陳君は、こんなことを呟《つぶや》いた。
「じゃ、君は、あの怪老人を、あの偉大な生理学者を、亡霊だったというのかい」僕は、聞返すと、
「だって、妙じゃないか。幽霊船が、やっぱり、ほんとうの幽霊船なら、あの白衣《びゃくえ》の老人も亡霊にちがいないよ」
「じゃ、君だって、亡霊かい」
「どうして?」
「君は、あの船の甲板で、豹《ひょう》のような水夫のために、左胸部を背後から射貫《いぬ》かれて、死んだのじゃないか。僕は、たしかにそれを目撃したのだ。だのに、また生き還《かえ》るなンか、ふしぎだよ。やっぱり、亡霊かもしれないよ」
「そ、そんなことがあるものか。僕は、いったんは殺されたが、あの白衣の老人の手術で、心臓を取替てもらって生き還ったのだ」
「じゃ、白衣の老人の腕前を信じることが出来るだろう。そしたら、あの人を亡霊というのはまちがっている。君が亡霊でないなら、あの科学者だって亡霊じゃないよ。もちろん、人造島をつくった博士だって、亡霊じゃない」
「うむ……。可笑《おか》しいね。何が何だか解《わか》らなくなって来たぞ。……待てよ。じゃ、あのどろぼう[#「どろぼう」に傍点]船だけが、亡霊だったのかもしれないね」
「それなら、僕もそうおもうね。渦巻く海面から、忽然《こつぜん》と消えて無くなるなンか、やっぱり幽霊船だった」そのまに、飛行機は、もう可成《かな》り遠くまで飛んでいた。
「大尉殿。もう一度、あの大渦巻の中心を探して下さい」僕は、あきらめ切れず、そう云うと将校は、
「いくら探しても無駄さ。あのとおり、八ツの眼で、下界を隈《くま》なく探したが、見つからなかったのだから、もうあきらめた方がいいぜ」
「でも、あの科学者が、行方不明になったのが、ほんとに惜しいンですもの」
「われわれだって、惜しい人物を、魔の海で失って、残念におもうよ。何しろ、人造島をつくった博士や、心臓を入替たり、生命を永久保存することを発見した大科学者だからね」
「それに、僕等の恩人です」
「まったくだ。しかし、幽霊船の犠牲になって、あの大渦巻に吸込まれ、海底深く没してしまったのだから、あきらめるより外はあるまい」
「ひょっとすると、博士たちは、火薬を爆発さして沈んだのかも知れませんよ」
「うむ、そうかも知れん……君たちも、うんと勉強して、将来御国のために、人造島ぐらい、わけなくつくる大科学者になってくれることだね。世界人類のために、生命の保存法を、君たちこそ、ほんとうに発見してくれるンだね」
「僕は、きっと、人造島を発明します」
「僕も、心臓の入替なぞ、平気でやれる大科学者になって見せるよ」といった。将校は、肯《うなず》いて、
「うん。それでこそ、死んだ二人の科学者の、恩に報いられるのだ。しっかりやってくれ」
「はい」「はい」海軍機は、すでに、魔の海――大渦巻の上空を去って、夕靄《ゆうもや》の深く鎖《とざ》した大海原《おおうなばら》を、西方指して飛んでいる。
「大尉殿」僕は、訊ねた。
「何だ」
「この海軍機は、ドイツから輸入したのですか」
「いや、国産だよ」
「へえ、素晴しいなア。こんな優秀機が、もう日本でも出来るンですか」
「出来るとも。もっと素晴しいのが出来かかっているよ。これは、東京帝国大学の航空研究所で設計したものだ。太平洋なぞ、無着陸で往復できるよ」
「ほう、愉快だなア」
「小僧たちも、うんと勉強して、これに負けない飛行機をつくってくれよ」
「つくるとも。大丈夫」
「何だぜ。もう、どろぼう[#「どろぼう」に傍点]船になンか、乗るんじゃないぜ」
「あれは、横浜《ハマ》で、船乗《マドロス》たちに騙《だま》されたのだよ。もう、北洋へなぞ往かずに、うんと勉強するよ」
「よし。陳《チャン》君、君も、うんと勉強したまえよ」
「はい」
「中国も、日本と協力して、もっと強くならなくてはいかんなア。東洋平和のために、日本と協力して、進むンだなア」
「僕は、山路君の、忍耐と、勇気と、仁侠《にんきょう》に感動させられました。日本人と、中国人とは、兄弟のように仲好くなるのが、ほんとうだと、こんどの冒険旅行で、しみじみ感じました」
「それだ。それは、大きな収穫だった。山路君と陳君との友情は、やがて、日本と中国との永遠の友情の楔《くさび》となるのだ」国際優秀機は、太平洋の上空を、秀麗富士の聳《そび》える日本の空を目指して、悠々と飛んでいる。四ヶ月余に亘《わた》る、怪奇な冒険旅行を終えて、故国へ帰る僕は、疲労も、眠気も忘れて、元気一杯、口笛を吹いた。
 日本へ帰ってから、人々に、老博士の人造島のことや、白衣の老人の心臓入替の話や、さては、幽霊船のことや、魔の海の大渦巻のことを物語ったが、誰も、それを信じるものが無かった。「そんな莫迦《ばか》なことがあるものか!」一笑に附してしまう。だから、どろぼう[#「どろぼう」に傍点]船を脱れて、巨鯨のお腹《なか》に乗っかって、漂流したなぞといったら、きっと、みんなは、吹き出してしまうだろう。僕は、目下、日本の有名な理学博士の主宰する化学研究所に助手として働いている。僕は、他日きっと人造島を発明してみせる。そのときこそ人々は、はじめて、僕の冒険談を、ほんとうにして聞いてくれるだろう。



底本:「少年小説大系 第8巻 空想科学小説集」三一書房
   1986(昭和61)年10月31日第1版第1刷発行
初出:「日本少年 付録」
   1937(昭和12)年8月号
※底本に、初出誌での原題は「幽霊船」との記載がありました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:阿部良子
校正:小林繁雄
2006年7月20日作成
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