もなく、無抵抗の意を表した。
「よいか、わしの味方の一人はいま、格納庫を襲うて、おまえたちの唯一の足である飛行機を焼こうとしている。そこで、わしは、この動力所を襲うて、人造島の心臓部を握るのだ。われわれは、兵器会社の技術員たちに、戦いを挑まねばならない。おまえは、わしの味方になるか、それとも反抗するか」
「味方になります」
「よろしい。では、おまえの任務に忠実であれ」
 このとき、彼方《かなた》の格納庫のあたりが、急に明るくなり、ボーッという、凄まじい音がきこえて来た。
「ほう、やったな。おい、窓の外を見ろ。わしの味方が、格納庫を焼いたぞ」
 云われて、機関士は、窓から顔を出した。
「あッ、火事だ」機関士は、おどろいて、戸外へ飛び出そうとした。
「おい、これがわからぬか」
 老博士は、ステッキを突付けた。
「此処《ここ》を動いてはならない。でないと、人造島が溶けてしまうのだ。飛行機が焼けてしまったし、島が溶けたら、どうなるとおもうか」
「…………」
 機関士は、神妙に機関《エンジン》の前に戻った。
 格納庫は、物凄《ものすご》く火焔を吐いている。
 と、忽ち、人々の叫喚が嵐のように起った。目茶苦茶に、発砲するものもあるらしい。大変な騒ぎとなった。その騒動の中を、巧みに抜けて、動力所へ駈けつけたのは日本少年、僕である。
「おお、旨《うま》くやってくれたな」
 老博士は、うれしげに僕を迎えた。
「あなたも……」
「うむ、動力所も、首尾よく手に入れたよ」
「みんな、こちらへ押寄せて来ます」なるほど、火焔の明りでみると、人々は、悪鬼のような叫びをあげながら、動力所を目指して駈けてくる。
「なアに、大丈夫。敵の心臓をつかんでいるから、すでに味方の勝利じゃ」
 老博士は、落着払っている。動力所へ押寄せた一隊は、威嚇《いかく》するように、小銃を乱射した。わアーという、喚声をあげながら、悪鬼のように、
「博士をやっつけろ」
「おやじを殺せ」
「日本の少年を、渡せ」と、口々にわめき立てて、すでに、扉《ドア》の近くまで迫った。

     島が溶けだす

 このとき、老博士は、動力所の窓から、ぬっと首を出した。
「あぶない!」僕は、引止めたが、それには耳を藉《か》さず、はや間近に迫った一隊に向って、皺枯《しわが》れ声だが、しかし太い力のこもった声で呼びかけた。
「射撃を止《と》めろ。止めないと、人造島の心臓部を止めてしまうぞ」この一言が、たしかに利いたとみえて、敵の一斉射撃が、急に止み、一隊は、その場に釘付《くぎづけ》にされたかたちとなった。老博士は格納庫の火焔《かえん》に、上半身を照らしながら、語気を強めて、
「わしは、すでに、この人造島の心臓部を握った。飛行機はみんな焼けてしまった。おまえたちは、自由を失ったのだ。よいか、わしに反抗するものがあったら、わしは、ここにいる味方の一人に命じて、動力|機関《エンジン》を、一挙に破壊してしまうだろう。おまえたちが、この動力所へ殺到し、われわれを銃剣で突刺すまえに、発動機の機能は、めちゃめちゃになってしまうが、どうだ」
 と、宣告を与えた。が、戸外に佇《たたず》む敵の一隊は、怒りと怖れのために、一語も発するものがない。完全に心臓部をつかまれているからだ。
 格納庫は、まだ旺《さか》んに燃えている。しかしトラスト型の鉄骨と、飛行機の形骸《けいがい》を、無慚《むざん》にも曝《さら》して、はや、火焔も終りに近かった。老博士は、敵の銃口に身を曝《さら》しながら、なおも言葉をつづける。
「沈黙を守っているのは、無抵抗の意志と認める。飛行機は、あのとおり無惨な姿になってしまったから、いくら暴れても、この島を脱《のが》れることは出来ないだろう。どうだ。和睦《わぼく》せぬか。心臓部を握るわれわれと握手して、この人造島を、大陸へ向けて移動せしめることに同意せぬか」
 戸外の人々は、なおも沈黙を守っている。
「それとも、われわれの手で、動力機関を破壊し、氷の島を溶かして、敵味方|諸共《もろとも》、海底の藻屑《もくず》となるか」敵の一隊は、今は進みも退きも出来ず、死のような沈黙をつづけている。
「君たちは、わしのつくった人造島が完成すると、もう、この老ぼれには用は無いというので、わしを、この島に残し、島の動力器械を持去ってしまうのだろうが、それは、あまり酷薄無道だった。君たちは、みんな、そんな残酷な人間ではないだろう。わしを信じ、わしの科学の才能を認め、わしになお、研究を継続させたいものは、銃を捨てて、これへやって来たまえ」
 すると、先頭の一人は、銃を投げ出した。悄然《しょうぜん》と、こちらへ歩いてくる。すると、これに倣《なら》って、他の人々も銃を棄て、みなそのあとに続いた。
 が、これは、こちらの油断だった。降服とみせかけて、動力所へ入って来た一隊の半数は、いきなり、老博士に殺到した。
「わア!」
「老ぼれを殺《やっ》つけろ[#「殺《やっ》つけろ」は底本では「殺《や》つけろ」]」
 たちまち、老博士は、人々のために組敷かれてしまった。あとの半数は、僕を目指して殺到した。
「日本の少年も、やっつけろ」
「わア!」僕は飛鳥の如《ごと》く、動力機関の前までのがれた。僕は、もはやこれまでとおもって、その場にあったハンマーを執《と》ると、
「やッ!」とばかり、機関を叩きつけた。
「あッ!」殺到した悪鬼のような人々は、おもわず声を呑《の》んだ。おのれの心臓を、叩きつけられたも同然である。僕は、続けざまにハンマーを揮《ふる》って機関《エンジン》を叩きつけた。歯車は砕け、シャフトは折れ、低温蒸気は、凄《すさ》まじい勢いで、折れまがったパイプの裂け口から吹き出した。僕は、汗を拭《ふ》きながら、人々を振《ふり》かえって云った。
「さア、これで万事休矣《ばんじきゅうす》だ。敵も味方も、仲好く、海底見物をしよう。動力が停ったら、この島は、次第に溶けていくだろう。もう、お互に争うことを止めようじゃないか」
 誰も、これに応えるものはなかった。
 老博士を組敷いている人々も、その場を離れ、呆然《ぼうぜん》として、僕を見るだけだ。今は誰一人、僕に組付いてくるものもない。死のような沈黙が、動力所の内外にひろがって来た。
 老博士は、僕の傍《そば》へやって来て、
「よくやってくれた。君の勇気と果断に感謝する。そして、君と一緒に死ぬことを、わしは、悦《うれ》しいとおもう」といって、僕の手を、固く握り締めた。
「済みませんでした。機関を破壊したりなんかして……」
「いや、この場合、君の果断の行為は、結局、われわれを救ってくれたのじゃ」
「でも、そのために、みんな溺死《できし》します」
「が、動力所を、あいつ等の手に渡せば、君とわしが殺されるだけじゃないか……。おお、そういううちにも、島が溶けてくるだろう。死の直前に、人造島の溶けるさまを実際に見ておこうか」
 老博士は、悠々と、戸口の方へ歩きだした。科学に殉ずる、老科学者の態度に、敵も味方も、今は驚嘆せぬものとてない。

     運命の方船《はこぶね》

 やがて、窓から戸外を眺めていた一人が、甲高い声で叫んだ。
「あっ、大変だ。島が溶けだした」
「えッ!」予期していたことだが、これが余りに突然だったので、人々は色を失って、われ先にと、戸外へ飛出した。彼等は、氷上を右往左往した。なかには、動力所の屋根へよじ登ろうとする者、相抱いて泣いている者もある。いやはや、白人共の、狼狽《ろうばい》ぶりは、滑稽《こっけい》なくらいだ。
「氷が溶けるのは、当然ではないか。周章《あわ》ててはいけない」老博士は、人々をかえり見《み》て、こう戒《いまし》めるが、刻々に迫る死を怖れて、人々は、なおも、右往左往して悲鳴をあげている。老博士は、木沓《きぐつ》の先でコツコツ氷を叩いてみて、僕をかえりみて云った。
「うむ、なるほど、凍結剤の効力が失われると、あれほど硬かった氷も、このとおりだ」
 それは、自分の創案した人造島の、溶け失せるのを悲しむというよりか、化学の偉力のおそろしさを証し得たことを悦《よろこ》ぶ、会心の笑いだった。
 そういううちにも、人造島は、刻々と溶けてゆく。海中に没している部分はもちろんのこと、表面も、周囲も、急速度に溶けつつある。
「救《たす》けてくれい」
「ああ……」技術員も、雑役夫たちも、今は全く手の下しようもなく、悲鳴をあげていたが、やがて彼等は、ぞろぞろと、博士の方へやって来た。
 彼等は、老博士を取巻いて、哀願した。
「博士。どうか、われわれを救ってください」
「われわれの生命《いのち》をたすけてください」
「おねがいします」果ては、彼等は、溶けゆく氷の上に膝《ひざ》をつき、手をついて、老博士に哀訴した。
 博士は、微笑をうかべたまま、
「生命が惜しかったら、わしの云うとおりになるか」
「なります」
「救けてください」
「では、あの白堊の建物へ帰りたまえ。あの建物は、島が溶けても、波に浮ぶだろう。あれは創世記の方船《はこぶね》だ」これをきくと、技術員や雑役夫たちは、
「おお、方船!」
「われわれの船」そう叫んで、われ先に、白堊《はくあ》の建物の方へ駈けだした。
「おお、日本の少年。君も、あの方船に乗って難を避けたがいい」老博士は僕を促した。
「博士は?」
「わしは、この人造島と、運命を倶《とも》にするとしようか」
「いけません、博士。僕と一緒に、あなたも、あの方船へ帰らなければなりません」
 僕は、老博士の手を執《と》って、ぐいぐい引張った。
「なるほど、君と一蓮托生《いちれんたくしょう》の約束だったのう。……では、敵も味方も、あの方船に乗って、運命の海を漂流するとしようか」老博士はやっと歩き出した。
 人造島は刻々に溶けてゆく。あと、一時間と経《た》たぬうちに、洋上の浮島は、跡形もなく消え失せるだろう。人々は先を争うて、白堊の建物へのがれたが、果して方船は人々を収容して、海洋に浮び、潮流に乗って、大陸へ無事に流れて往くであろうか。老博士は、確信をもって、方船に避けよと勧めたのか。運命の方船よ。おまえは、果して、海洋に浮んでくれるか。

   三 心臓と科学

 どろぼう船が、亡霊のような怪老人の出現によって、いつのまにか、幽霊船となり、僕と豹《ひょう》のような水夫が、海へ飛込んだまでは、読者諸君も、すでに御承知のことだが、その後、幽霊船|虎丸《タイガーまる》はどうなったか。
 物語は、しばらく運命の方船《はこぶね》を追わず、幽霊船虎丸の甲板へ戻るとしよう。さて、幽霊船虎丸の甲板の、亡霊のような怪老人は、五ツの屍骸《しがい》の横《よこた》わる中甲板を、血の匂《にお》いを嗅《か》ぎ、よろよろ歩き廻りながら、不気味な薄笑いを洩《もら》した。
「そろそろ仕事をはじめるかな」怪老人は、そのまま船室へ姿を消したが、すぐに大きな鞄《かばん》を提げて現われた。五ツの屍骸《しがい》に、ガラスのような瞳《ひとみ》を投げながら、
「どいつを、料理《まかな》ってやろうかな」
 と、呟《つぶや》いた。いよいよ不気味なことを云う。
 鞄の中から、いろんな怪しい道具を取出した。それは外科手術用の鋸《のこぎり》や、メスや、消毒剤などだ。メスを握り、白衣《びゃくえ》の腕をまくり、大男の屍骸に居ざりよって、
「久しぶりで、肉を裂くのか。堪《たま》らないなア」
 と、またも呟いた。おお、怪老人は、メスを揮《ふる》って、大男の肉を裂き、肉を啖《くら》おうというのか。
 怪老人は、大男の屍骸の胸をひろげ、左胸部のあたりに、ぐさりメスを突立て、肉を抉《えぐ》り取ったが、それを、一口に啖うと見ていると、そうではなく、なおもメスを突立て、まもなく、大男の血の滴る心臓をつかみ出した。
「なかなか見事見事」それを片手に持って眺め廻したが、こんどは、陳《チャン》君の屍骸《しがい》に居ざりより同じように、胸をはだけ、左胸部にメスを突立てた。手を入れて、つかみ出したのは、銃弾に射貫《いぬ》かれて、めちゃめちゃに砕けた陳君の心臓だった。
「ほ
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