博士の命令どおり、たんねんに麻布に塗った。
まもなく長さ数メートルの大きな蝋塗りの麻袋が出来上った。それに幾本かの麻縄《ロープ》を結び、その端に、ハンモックを取付けた。
「これでよい。この原始的な飛翔機で、大空へうかび上るのだ」
老博士は、満足げに云った。
「でも、博士、この麻袋の中へ、瓦斯《ガス》を填《こ》めなければ浮びませんよ」
「勿論《もちろん》さ。瓦斯の代りに、冷凍室で使う圧搾空気を入れたらいい」
「ああ、そうだ圧搾空気をつくろう」
僕は、悦《うれ》しげに叫んだ。
烈《はげ》しい風が吹いていた。風船を空に浮べるに絶好の日だ。
陳君は、この日朝から汽罐《かま》を焚《た》いた。蒸気が機関のパイプに充満すると、動力をはたらかして、圧搾空気をつくった。それを甲板まで導いて、麻布の風船の中へ充填《じゅうてん》した。
天佑か、奇蹟《きせき》か、大きな麻袋は、大きくふくらみ、空へ飛翔せんとて暴れ廻る。その口を固く結んで、縄を船橋《ブリッジ》の柱へ縛りつけた。
「おい、はやく、ハンモックへ乗りたまえ」
老博士は、僕等を促した。
「博士は?」僕は訊ねると、彼は叱《しか》りつけるように、
「この、不完全な風船に、われわれが乗れやしないじゃないか」
「でも、僕等だけ……」
「何を云うのか、おまえたちは、前途有為な少年じゃ。この魔の海を脱れなければならないが、われわれ老人は、もう任務が終ったので、この幽霊船と運命を倶《とも》にするのじゃ」
「そうだ。君たち少年だけで、大空へ脱れたまえ。わしと、博士とは、従容《しょうよう》して、君たちを送るよ」怪老人も、僕等を促す。
「それはいけません。僕等は、あなた方を見殺《みごろし》には出来ません」
「またそんなことを云う。この風船は、四人の人間を乗せることが出来ないのだ。君たち二人が乗っても、危険なくらいだ。が、この船で死ぬよりか、ましだとおもって乗りたまえ」
「でも」
「まだ躊躇《ちゅうちょ》するか。いかん。せっかく充填した圧搾空気が効力を失い、浮揚力を失ってしまうじゃないか。それ、もっと圧搾空気を填《こ》めろ」
ふたたび、圧搾空気を、風船に填めた。
「さあ、一刻もはやく、ハンモックに乗りたまえ」
「…………」僕等は、もう拒むことも出来ず、ハンモックに乗った。
「博士、では」
「先生! きっと迎えに参りますよ。それまで生きていてください」僕等が、涙ぐみながら、口々に叫んだとき、船橋の根元の柱に縛りつけてあった麻縄《ロープ》を、怪老人は解いた。おお、果して、この不完全な風船は、大空に浮き上った。
「博士。さよなら」
「先生! 御壮健で……」あとは涙。甲板上の二老人も、両眼に涙を湛《たた》えて、
「おお、元気な日本の少年よ。中国の少年よ。必ず祖国へ帰れよ」
「圧搾空気は瓦斯《ガス》のようなわけにはいかぬから、やがて風船の浮揚力は失うが、それまでにこの魔の海を脱れ出るがよい。運命の風よ。強く吹け」口々に叫びながら、多難な前途を案じ顔だった。
幸いに、風が強く、僕等をのせた怪しげな風船は、幽霊船の上空を離れて、大渦巻の圏外へ吹き飛ばされようとする。
「さようなら……」
「さよなら!」僕も、陳《チャン》君も、泣きながら叫んだ。
風船の墜落
僕等を乗せた風船が、風に吹きつけられて、やっと、大渦巻の圏内を脱したとおもうころ、予期したとおり、いや案外にはやく麻袋の風船は、浮揚力を失って、大海原に墜落した。
「あッ!」僕も、陳君も、絶望の叫びをあげた。
が、ふしぎにも、僕等は、それなり海底へ沈まなかった。
「おや」「おや!」
横に倒れたまま、海に墜落した風船は、海底に沈まず、ふわりと浮んだままだ。
二人とも、水に溺《おぼ》れかけながら、顔を見合った。
「風船が水に沈まないぜ」
「ほんとうだ。……麻袋に蝋《ろう》を塗ってあるからだろう」
「それにちがいない。試しに、あの風船に乗って見ようか」
「よかろ」二人は、ハンモックを離れて、畳のように海面に拡がった風船に這《は》い上った。大きな麻袋なので、二人を乗せても平気だった。
「天佑天佑」僕らは手を拍《う》ってよろこんだ。
「思慮の深い博士の考案だ。これくらいのことは当然だろう」
「まったくだ。こいつは、まるで革の船みたいだね」救《たす》かったとおもったら、急に眠くなった。
二人は、風船の浮船の真中ごろに陣取って、横になった。
「お腹が空いて、ぺこぺこだ」僕がいうと、陳君は、
「贅沢《ぜいたく》いうなよ。あの大渦巻に捲き込まれて、独楽《こま》のように廻っている老博士たちのことを考えたら、贅沢は云われないぜ」
「そうだ」
「怪老人も、博士も、じつに偉大な科学者だ。あの魔の海で死なしたくはないね」
「まったくだよ。僕は、何とかして救《たす》
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