「博士! あの生々しい屍骸をごらんなさい」
「なるほど、三ヶ月も経過して、生々しい屍骸が横《よこた》わっているとは奇怪だ。まさしく幽霊船かな」
「博士、あれに倒れているのは、安南人《あんなんじん》の大男です。ごらんなさい。その男の胸が抉《えぐ》られています」
「なるほど、……惨酷《ざんこく》なことをしたものだな。亡霊の仕業かな」
「あッ! 博士。僕の味方が、やっぱり倒れています。船長附のボーイ、陳《チャン》君です」
「おお、あの少年が、陳君というボーイかい。無惨《むざん》な屍骸となって横たわっているではないか」
僕はつかつかと駈《か》けて往って、陳君の屍骸を抱き起そうとすると、突然、どこからか
「待て、その屍骸に触れてはならぬぞ」不気味な声。
僕は、おどろいて振かえると、いつのまにか、僕の背後に、白衣の白髪の怪老人が立っていて、右の人差指を突付け、物凄《ものすご》く、歯のない口をあけて笑った。
「あッ、おまえは、亡霊だな」立ち上って、身構えた。
「ハハハハハ。亡霊を退治に来たというのかい。なるほど、それもよかろ。……だが、その少年の屍骸《しがい》に触れてもらいたくはない」
「何故《なぜ》だ」
「おまえの味方だが、また、わしの愛するモルモットじゃ。一指《いっし》も触れてはならぬぞ」
「黙れ、亡霊!」
「いや、わしの実験の済むまでは、一指も触れてはならぬのじゃ。強いて、屍骸に近寄ろうというのならば、おまえも、屍骸にしてやろう」
「…………」不気味なその一言に、ぎゃふんと参ってしまった。老博士は、二、三歩、怪老人の方へ進み寄り、
「実験といったね。何の実験かね」
「つまり、科学の実験なのじゃ」
「えッ! 科学」
「そうじゃ。亡霊が、死の船の甲板で、科学の実験をするとは、奇怪だとおもうだろう。わしは生きた人間を料理する科学者だが、みだりに生きた人間を取扱うと、陸では、法律上の罪人となるからのう」
「なるほど」
老博士は、更に二、三歩、前へ進んだ。怪老人は、ガラスのような眼で、相手を見て、
「そこで、わしは、実験室を、北洋のどろぼう[#「どろぼう」に傍点]船に選んだのじゃ。わしは、船医に化けて、この虎丸《タイガーまる》に雇われ、横浜から乗船した。そして、生体解剖《せいたいかいぼう》の実験の機会《チャンス》を狙《ねら》っていたのじゃ。するうち、それにいるボーイたちが、わしのために、絶好の機会をつくってくれたのじゃ。そこに斃《たお》れている少年の心臓が、ピストルに射貫《いぬ》かれ、打砕かれたのを摘出し、それにいる安南人の健全な心臓と取替えたのじゃ。すると、どうじゃ。少年の屍骸は、たちまち、むくむくと起き上ったのだ」
「うむ。……しかし、少年は、屍骸となっているのではないか」
「待ちたまえ。心臓の入替を実験するだけではなく! そのあとで、もっと重大な実験をなしたのじゃ。人間の生命を永遠に保存することだった」
「えッ! 生命の保存?……それは、考えられぬことだ。空想に過ぎない」
老博士が叫ぶと、怪老人は、冷《ひやや》かに笑って、
「空想が実現した例は、むかしから無数にある。まして、わしの、生命保存の真理は、空想ではなく、三十年来の実験の結果、到達したものじゃ。わしは、一旦死んだ少年の、左胸部を抉って心臓を取替えて蘇生《そせい》せしめたので、少年の生命は、わしの所有といってよい。そこで、蘇生した少年に、わしの創案した防腐剤を注射し、そして、ふたたび殺してみたのじゃ。なるほど、少年は死んでいる。が、それは、仮死の状態にあるので、生命は、永遠に保存されてあるのじゃ」
「うむ。……事実とすれば、まさしく科学の奇蹟《きせき》じゃ」
「どうじゃ、疑うなら、もう一度、少年の屍骸に息を吹込んで見ようか」
「どうか、やって下さい」僕はわれを忘れて叫んだ。
「よろしい。おまえたちの眼の前で、屍骸が、立ち上るだろう。さっそく実験してみよう」
屍骸が動く
白衣《びゃくえ》の怪老人は、そのまま船室の方へ消えたが、再び現われたとき、例の大きな鞄を抱えてやって来た。「これが、わしの玉手函《たまてばこ》じゃ」彼は、不気味に笑って、陳《チャン》君の屍骸の方へ、よろよろと近より、白衣《びゃくえ》の腕をまくり、鞄から、幾本かの注射器を取出し、屍骸《しがい》に手をかけた。
「その辺に、ごろごろしている屍骸をみるがよい。三ヶ月の漂流で腐敗して、形は崩れているはずだのに、そのように生々しいのは、わしの創案した防腐剤のおかげじゃ、少年の身体の防腐剤を解消するために、ベツな注射を幾本か施すのじゃ」
「では、ほかの屍骸にも、その注射を施すと、みんなが生き還《かえ》りますか」僕は、不安になって訊《たず》ねた。みんな生き還ったら、どんなにまた暴れるかしれないと、おもったから
前へ
次へ
全25ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺島 柾史 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング