、また漂流者にとって天の恵みでもあった。屋根の窪《くぼ》みなどに、雨水が溜《たま》るからだ。僕等は、それによって、渇《かつ》を医《い》やすことができ、雨水を呑んで、わずかに飢えを凌《しの》ぐのだった。
ときには、晴れた、気持のよい日和《ひより》もあった。海洋は浅みどりに輝き、浪もおだやかで、方船の動揺も殆《ほとん》どなかった。こういう時に、僕は自分のきているジャケツの毛糸を解き、その毛糸を幾本かあつめて撚糸《よりいと》にし、また、屋根板から一本の釘《くぎ》を抜取って、これを曲げて釣針をつくって釣りをした。
はじめ、餌《え》の代りに、靴底の革を切って釣針につけて、海に投げてやると、またたくまに、一尾の大きな魚が釣れた。その魚の肉を餌にして、さらにカメアジや、鮫《さめ》や、阿呆鳥《あほうどり》を釣り上げた。
阿呆鳥を釣るには、小さな板のうえに、餌のついた釣針を乗せて、浪の上に流してやると、阿呆鳥は、それに食付《くいつ》いてくる。それを釣るのだ。
天気の好《よ》い日は、老博士も、死人のような生残者たちも、僕から釣道具を借りて、釣りに興ずるのだった。嵐のあとの晴れた朝だった。
大きなうねりに乗り、うねりに沈んで、方船は、木の葉のように漂うているとき、一人が、海洋の彼方《かなた》を遠望しながら、とつぜん叫んだ。
「おお、……島だ。島だ」この声は、人々に活気を与えた。なるほど、水平線の彼方に、一点の黒影がうかんでいる。
「無人島かしら」僕は、好奇の眼を見はった。
「珊瑚礁《さんごしょう》だったら、つまらないなア」
誰かが、力ない声で呟いた。
「パーム・パームリック圏内に迷い込んだのではあるまいかな」これは、博士だった。
「パーム・パームリックというのは、何ですか」
「南海の魔の海だ。珊瑚礁が群生して、おまけに潮流の渦巻く、おそろしい死の海ともいわれるところじゃ」
人々は、これをきくと、おもわず顔を見合った。
「あっ! 島が動く」誰かが、また叫んだ。
「えッ! 島が動く?」冗談じゃない。人造島ではあるまいし、島が動いてたまるものかとおもったが、なるほど、黒い影がたしかに動いて、だんだんこちらへ近づいてくるではないか。
「おお、船だ。島じゃない、黒船だ」
老博士は、さすがに、哀《かな》しげに叫んだ。
方船と、黒船とは、次第にその距離を短縮しつつある。
「妙な船ですね」
「難破船かも知れない」
僕と、老博士は、囁《ささや》き合った。だが、難破船にしては、船体がガッチリしている。太い烟突《えんとつ》から、黒煙を吐いてはいないが、まさか、面白《おもしろ》半分に海洋を流されているのでもあるまい。しかも近づいてくるにしたがって、いよいよ不気味に感じられる。
「幽霊船だ」誰かがまた、恐怖に顫《ふる》えた声で叫んだ。
「幽霊船?」僕は、おもわず聞き返した。
「難破船の乗組員が、みんな死んで、その亡霊が船を動かしているということを、物語にきいたが、あの船は、それにちがいない」
「それは、船乗たちの迷信さ」
老博士は、一笑に附したが、
「博士、ひょっとすると、幽霊船かもしれませんよ」
「ハハハハハハハ。君までが、……」
そういううちにも、死の船、――幽霊船は、意識してか、だんだんと方船《はこぶね》の方へ近づいて来る。
おお、死の船? 恐怖の船?……
船と船とが、すれ違いになったとき、方船は黒船の舷側《げんそく》にぴったりと吸付いてしまった。いや、吸付いたとみたのは、汐《しお》のために、舷々《げんげん》相《あい》摩《ま》したのだ。方船の生残者たちは、
「あッ!」と一斉に叫んで、身を避けようとしたので、方船は一方に傾いて、危うく顛覆しそうだった。
僕は、恐怖と好奇の眼で、幽霊船の甲板を見上げた。それは僕がかつて恐ろしい目にあった虎丸《タイガーまる》だ。約三ヶ月目で相《あい》会《かい》したどろぼう[#「どろぼう」に傍点]船だが、もう舷側にはカキ殻が夥《おびただ》しく附着し、甲板には人影もなく、船体から烈しい臭気が発散している。「博士、死の船です。幽霊船です。甲板から不気味な妖気《ようき》が立っています」
「うむ」と、老博士も好奇の眼を上げた。
「君たちはどうだ。幽霊船を探ってみないか」僕は、生残った技術員たちに呼びかけたが、彼等は、
「いや、真ッ平だ」
「あんな船に乗移ると、生命が奪われる」
と、口々に呟いて、顫《ふる》えている。
「なんだ、意気地《いくじ》なし」
僕は、虎丸の舷側に垂れ下っている、タラップの端をつかんで、足をかけ、猿のように甲板へ登って往った。老博士はと、振《ふり》かえると、かれもまた勇敢に、タラップを登ってくる。中甲板には、五つの屍骸《しがい》が、ごろごろしていた。
「あッ!」あまりの恐ろしさに、おもわず叫んだ。
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