ない,それと大小の差はあるが、心持は一ツだ。昼間自分たちのはぐれたのは、一時は一同の苦痛であッたが、その夜家へ帰ッてから、何かにつけてそのことを言い出しては、それが笑いの種となり話の種となッた時には、かえッて一同の楽しみとなッた。自分は娘が嬉しそうな貌をして、この話をしている様子を見て、何となく喜ばしく、そして娘も苦痛を分けた人が自分であると思うと、一層喜ばしく、その日の蕨採りは自分が十四歳になるまでに絶えて覚えないほどな楽しみであッた、と思ッた。しかし悲喜哀歓は実にこの手の裏表も同じこと、歓喜《よろこび》の後には必ず悲しみが控えているが世の中の習わし。平常は自分はいつも稽古に往ッていて、夜でなくては家にはいない、それゆえ何事も知らずにいたが、今宵《こよい》始めて聞いた,娘は今度逗留中かねて世話をする人があッて、そのころわが郷里に滞在していた当国|古河《こが》の城主土井|大炊頭《おおいのかみ》の藩士|某《なにがし》と、年ごろといい、家柄といい、ちょうど似つこらしい夫婦ゆえ、互いに滞留しているこそ幸い、見合いをしてはと申し込まれたので、もとより嫁入り前の娘のことゆえ、叔父もたちまち承諾し
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