?」
 自分は方角を指し示した。老婆は老爺《じい》の出て往くのを見送り、それから花筵《はなござ》を引き出して来て、
「さア嬢様。お掛けなせいまし、そこはえらく汚ねエだから。さお坊様掛けさッさろ」
「婆やア湯をおくれ、気の毒だが」
「湯かのう? 今上げますで、少し待たッせい,一ッくべ吹《ふ》ッたけるから。
 老婆が鑵子《かんす》の下を吹ッたける間、自分は家の内を見廻した。この家は煤《すす》だらけにくすぶり返ッて、見る影もないアバラス堂で、稗史《よみほん》などによく出ている山中の一軒家という書割であッた。そのうちに鑵子の湯は沸き返ッたが、老婆は、ヒビだらけな汚ない茶碗へ湯を汲《く》んで、それを縁の欠けた丸盆へ載せて出した。自分は喉が渇《かわ》いていたから、器《うつわ》のきたないのも何も知らず、ぐッと一息に飲み、なお三四杯たてつけに飲んだ,娘は口の傍へ持ッて往ッて見て少し躊躇《ためら》ッていたが、それでも半ば飲み干した,この時自分は、「さても鑵子の湯はうまいものだ」と思ッた。
 この老婆は誠に人のよさそうな老婆で、いろいろなことを話しかけるので、娘はその相手をしていた。自分はまたかかる山家へ
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