に玄関の方へ往ッてそしてお雪という娘を見た。
この時娘は、叔父の後《あと》に続いて伴《とも》の女中をつれてしとやかに玄関を上ッて来た娘は、なるほど、母の賞めた通り誠に美しい娘だ,背《せい》はすらりと高く、色はくッきりと白く、目はぱッちりと清《すず》しく、ほんとうの美人だ。黛《まゆずみ》を施し、紅粉を用い、盛んに粧《よそお》いを凝らして後、始めて美人と見られるのはそれはほんとうの美人ではない、飾らず装わず天真のままで、それで美しいのが真の美人だ。この時の娘の身装《みなり》は旅姿のままで、清楚《さッぱり》とした装《なり》で飾りけの気もなかッたが、天然の麗質はあたりを払ッて自然と人を照すばかりであった。それにどんなに容貌《かおかたち》が美しくても、気象が無下に卑しい時は、どうも風采《ふうさい》のないものであるが、娘は見るからがその風采の中に温良貞淑の風を存していて、どことなく気高く、いかなる高貴の姫君というとも恥かしからぬ風であッた。
それに田舎者はどれほど容貌が美しくても、どれほど身装が立派であッても、かの一種言いがたき意気というか、しなやかというか、風流というか? かの一種たおやかな
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