出来て、城下を去ること半里《はんみち》ばかりの長井戸の森をさして出かけた,同勢は母と、姉と、娘と、自分と、女中二人に下部《しもべ》一人、都合七人であッたところへ、例の勘左衛門が来合わせて、私もお伴をと加わッたので,合わせて八人となり、賑《にぎ》やかになッて出かけた。
家敷《やしき》の? 郭《くるわ》を出て城下の町を離れると、俗に千間土堤《せんげんどて》という堤へ出たが,この堤は夏|刀根川《とねがわ》の水が溢《あふ》れ出る時、それをくい止めて万頃《ばんけい》の田圃《たはた》の防ぎとなり、幾千軒の農家の命と頼む堤であるから、随分大きなものである,堤の上ばかりでも広いところはその幅十間からある、上から下へ下りるには一町余も歩かねば平地にはならぬ、まア随分大きな堤だ。堤の両側は平《ひら》一面の草原で、その草の青々とした間からすみれ、蒲公英《たんぽぽ》、蓮華草《れんげそう》などの花が春風にほらほら首をふッていると、それを面白がッてだか、蝶が翩々《へんぺん》と飛んでいる。右手はただもウ田畑ばかり,こッちの方には小豆《ささげ》の葉の青い間から白い花が、ちらちら人を招いていると,あちらには麦畑の蒼海
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