うに言うのである。そしてまた、誰が言い出したものか「生命直覚の悲哀」「南京虫の哀愁」とかいう言葉が、言外の意味を多量に含んでよく使われていた。
曽根は社へ行くのが怠儀でならなかった。社へ行っても誰ともあまり語り合わず、閑《ひま》さえあればぼんやり煙草《たばこ》をふかしながらあたりを眺めていた。ほかの人たちはいずれも常のごとく何の変りもなく機械のように働いていた。各人は各人の割り当てられた仕事をして、くるくると本当の機械のように立ち働いていた。社の中では彼一人だけが別者であった。彼自身もそれを感じて時々、(俺みたいな者がいてはみんなの邪魔になるわけだ)などと独《ひと》りで思うた。
頭痛がするので一日社を休んで下宿に寝ていた。するとその翌日も面倒くさくて届だけ出して社へ行かなかった。こんなふうにして二日続けて社を休んだら、その翌日もなおのこと社へ行くのが厭《いや》になった。仕度《したく》をして家を出ることは出たが、途中から外《そ》れてぶらぶらどこという当てもなく町中をさまよい歩いた。どこへ行っても、何を見ても、何を聞いてもすべての物が自分とは赤の他人のようでさっぱり親しみを感じなかった
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