息を潜めて、そしてあたりの空気が元気なく疲れて冷え冷えしている様子が、夜のすでに深く更《ふ》けていることを物語っていた。――すべてこれらのことが一瞬の閃《ひらめ》きの間であった。思い設けないことに対する一種の驚愕《きょうがく》が、今まで腰かけていたべンチの上から彼を弾《はじ》き下ろした。身に巻きつけられてあった鼠《ねずみ》色毛布のぼろきれがぱさぱさと身体を離れて床に落ちた。で、彼はまる裸になった。しかし彼はそんなことには頓着《とんじゃく》なく、よろよろとよろけながら一人の警官の卓の前に進んで行った、そして卓を叩《たた》いて叫んだ。
「警官、警官、私はどうしたというんです。私の身の上に一体何事が起ったのです」
 事によったら、それは署長であったかも知れない、そんな風に思われる五十格好の男であった。その男は思いがけないところを驚ろかされたので、
「うむ? あ?」と、ちょっとまごついて、今まで居睡《いねむ》りでもしていたらしい顔をあげた。痩《や》せてげっそり[#「げっそり」に傍点]と落ちた頬辺《ほっぺた》のあたりを指で軽く擦《さす》りながらシゲシゲと彼を眺《なが》めていたが、急に大きな声を出
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