て下さい。いゝえ。兄さんはきっとそれを知っていらっしゃいます。」
羞《はず》かしさのために顔を真赤にして、両の眼には涙さえ浮べながらやっと[#「やっと」に傍点]これだけを云う事ができた。しかし、彼女自身は自分が今、何を云ったのだかよくは解らなかった。庸介は今度は本当に妹の手に触れた。それを自分の両方の手の間へしっかり握りしめながら、少しの間を措《お》いた後、精一杯な爽快さを声に表わして、
「お前の云う事はみんな間違っている。ね、房子。今、お前の云ったような事は、それは、醜く生れついてそれでいつも退屈ばかりしている者の云う事だよ。……それだのに、お前のようにこんなに美しい可愛らしい人が、何でそんな事を云う事があろう。お前は、自分の美しい事ばかりを思うていればそれで良いのだ。一生涯。……それがお前のしなければならない一番善い事なのだ。……ね、房子。わかったかい。」
こう云って、彼は[#「彼は」は底本では「彼に」]妹の手に接吻を与えてやった。
房子には、自分がからかわれて[#「からかわれて」に傍点]いるように思えた、しかしそれがまた、何だか馬鹿に嬉しいようでもあった。そして兄のこの一言のために、不思議にも今まで自分に附き纒うていた厭《いと》わしい影が一時に跡もなく消えて行ったように思われた。……永遠に。何だか笑い出したくなって来た。じーっとそれを口の中で堪《こら》えていても、次第に、それはどうしても堪えきれなくなって来た。彼女はとうとう[#「とうとう」に傍点]真赤になってふき[#「ふき」に傍点]出してしまった。
六
郵便の配達は、日に二回ずつしかなかった。午前の十時頃と、午後の三時頃と、この時刻になると、彼はいつもうろうろ[#「うろうろ」に傍点]と玄関のあたりを行ったり来たりして少しも落ち着いてはいられなかった。それは、傍《はた》の人達の目にもそれと気がつくほどであった。配達夫が門の中へ入って来ると、きまって彼がそれを受取りに出た。そのくせ、その中に自分の分があってもすぐにそこで開いて見るような事は決してせず、その場は妙に済まし切った顔附をして一まず自分のふところの中へ納めてしまうのである。そして、どうかするとそのまま自分の部屋へ引込んで、そこから長い間出て来なかったりする事があった。
この事を、彼の母はひどく気にした。息子に何か自分達の知らない秘密でもあって、そしてそれは自分達には打明けられないような種類の事で、それがために一人で思い悩んでいるのに相違ないと思うた。それに対して房子は、
「そんな事ではないと思うわ。……兄さんには、お友達から来る手紙が何よりの楽みなんですよ。それで、それが待ち遠でならないんでしょう。きっと。……だから、兄さんの方からもよく手紙をお出しになることよ。」
事もなげに、こんなふうに云うのであった。
母は、また、東京に「おんな」でもあるのではないか、とも思うのであった。しかし、そんな事はもちろん自分の胸だけのはなしで、口に出して云うような事は誰にもしなかった。それから、もう一つ、彼女が庸介について不審にも思い、かつははがゆく[#「はがゆく」に傍点]不満でならなかったのは、彼が、もうそろそろ何か、例えば読書のような事なり、またその他の何なりをやり出してもいいのだ。という事であった。この第二の事では、彼の父もまたまったく同感であった。しかし、今はまだ、そんな事を彼に云う時ではないと思うていた。
ある日、庸介が自分の部屋の涼しい縁側の所へ籐《とう》で組んだ寝椅子を持ち出して、その上で午睡に陥っていた時、郵便配達夫が一枚の端書《はがき》を玄関の中へ投げ込んで行った。房子がそれを受取った。それは庸介へあてたので差出人の名前の代りに、兄が下宿していた旅舎の商用のゴム印が捺《お》されてあった。こういう種類のものは彼女自身にはちょっと珍らしく、またちょっと異様にも感じられたので、裏を反えして読むともなく二三行目を通してみた。と、急に彼女は、何か怖い物をでも見たように、はっ[#「はっ」に傍点]と驚いて目を他に転じた。が、次ぎの瞬間に、今度は非常に熱心に、一字一字丁寧に読んで行った。それには次のような意味の事が書かれてあった。「いつもながら、不得要領なお返事ばかりで当方の迷惑は一通りではない。こちらを発《た》つ時にはあれほど堅い約束をして置きながら何と云うことだ。もし一両日が間に御送金なくばもはやあなたとは談《はな》しはしない。例の証文の件を親御の方へ照会して処決して貰うようにするから。左様承知ありたい。草々頓首。」多分に憤りの調子を含んだ条文で細かく書き続けられてあった。
房子は三度目に読み返して行った時に、もう堪えられないような気がして来た。何ぼ何だって、これは何という乱暴な物の書き方だ! と思った。誰かが彼女自身の面前で、彼女自身を厳しく責めつけ、辱《はず》かしめているように感じた。胸の動悸がおのずから高まって来た。顔色が蒼く変り、手がふるえて来た。やがて両方の目へ涙さえ浮んで来るのであった。何はともあれ、お母さんにこの端書を見せねばならぬと彼女は思うた。そして一刻も早くこの忌《いま》わしい事件を根絶してしまわねばならぬと思うた。……しかしそんな事を自分勝手にやっては兄さんに悪るくはあるまいかとも思うた。咄嗟《とっさ》の間にいろいろと迷うた。……と、今度はこの端書がここへ来るまでに多くの人の目に露《さら》された事を思うた。大勢の人がすでにこの事を知ったような気がされた。そして、むろん、さっきこれを配達して来たあの男もこれを読んだに相違ないと思った。――こうなっては、もう今は一刻も猶予《ゆうよ》していられる時でないと、深く決心して彼女は急いで母の居間へやって来た。そして黙ってその端書を母の前へつき出した。
母は、それを受取って一通りずーっと目を通すと、何も云わずにそれを自分の針箱の中へ納めて、そのあとですぐにまた、針仕事に取りかかりそうにした。別に驚いた様子もなかった。まるで出入の呉服屋から来た端書を見た時くらいの表情しか見ることができなかった。
房子は、母の心をはかりかねて、いかにも不安そうに、
「お母さん!」こう呼びかけた。
「はい。」
母の声は、いつもに変るところなく少しの濁りもなかった。
「どうなるのですの?」
「そんなに気をもむ[#「もむ」に傍点]事なんか少《ち》っとも無いんですよ。お前はもういいんだから、あっちへ行っておいで。」
「でも、わたし……。」
「どうしたの? お前、母さんがいいようにして上げるのだから、お前なんかが心配などするのではありませんよ。ね、房子。――それから、兄さんが目を覚ましたら此室《ここ》へ来てくれるようにって云っておくれ。誰にも知れないように、そっと云うのですよ。」
房子は、これでやっと安心して母のそばを離れた。
庸介が、母の前へ坐った時、母はすぐに口を開いた。何の修飾するところもなく、きわめて直接に、
「お前は、何か至急にお金の入用な事がおありなのでしょう。……それはいくらあれば良いのだか云いなさい。」こう云うのであった。この簡潔な母の一言は彼を動かすに十分であった。そして、そこには何等の説明もなしに彼をしてたちまちに、
「八十円ほど……。」と答えしめるだけな恩愛の情が漲《みなぎ》っていた。
「ほんとにそれだけで良いのかい。……あとでまた何か云い出したって、妾《わたし》はもう知りませんよ。それですっかりよくなるのだね、ほんとに?」
「はい。」
こう、はっきり[#「はっきり」に傍点]と答えた時に庸介の眼から涙がぽろりと落ちた。
彼は、母の深い情を感ずるよりも、自分自身の臆病な、卑屈な心をつくづく羞《はず》かしく思うた。彼が今、しきりに督促に遇《あ》っている借財の口は都合三ツあって、それを片附けるには百弐拾円と少しなければならないのであった。「何で、それを正直に打明ける事ができないのだ! この場合になってかくのごとく限りなき母の愛情の前に坐っていながら、四拾や五拾の金額を少なく申出る事によって幾分なりともなお自分の面目なさを軽くしようなどとは実に何という見下げ果てた根性だ!」彼はこの時ほど自分自身に対して酷《ひど》く憎悪の感を覚えた事は、これまでに一度もなかった。
この事は、その後幾日も彼を責めた。
家の中に息づまるような、厭な小暗さが加って来た。家の人達と彼との間に陰気な密雲が蔽《おお》いかぶさったようになって、名前をもってたがいを呼び合うというような事が、何となくできにくいような心持ちが続いた。
父の翻訳の方が忙しくなっていた。主にそんな事で彼は日を暮らした。それは維也納《ウィーン》のある博士が、ある医師会の席場に試みた、終焉《しゅうえん》に関しての講演の筆記であった。殆んどすべての終焉が生理的にまったく快感性のものである事を論じたので、きわめて興味深いものであった。それには、数えきれないほどさまざまな終焉の場合と、それについての饒多《じょうた》な実例とが挙げられてあった。中には、高い崖の上から落下して長い間気絶していた人や、溺死した人やのその人自身の詳《くわ》しい実話などもあった。それ等の人々は、その後他人によって幸にして蘇生させられなかったならば正しくそのまゝ絶命してしまったに相違なかったものであった。……
その博士は貴族であった。それにゲーテなどを愛読している人のようでもあった。云わんとしている事がきわめて微細な科学的なものであるにもかかわらず、その云いまわしは典雅荘重をきわめていた。時にゲーテの詩の数句が引かれてあったりした。
彼は、明快を主とするのゆえをもって、口語体が一番良いと云った。それに対して彼の父はあくまでも漢文口調の文体を主張した。そんな事から議論に花が咲いて、しまいには全然それ等の事から離れたさまざまな問題にまで移り移ってゆくのを免《まぬか》れなかった。
七
老医師の云う所は、哲学というよりは当然それは処世術とも呼ばるべき種類のものに限られていた。彼は常に(欲望の節度、明らかな教養、気高い心ばえ)こうならべて云うのであった。そしてそれについて、その場合々々に応じてそれぞれ適当な説明を附けて行った。
「むやみに快楽を追おうとする所にいっさいの紛雑が生ずるのだ。苛《あせ》れば苛《あせ》るほど、藻掻けば[#「藻掻けば」は底本では「薄掻けば」]藻掻くほどすべてが粗笨《そほん》に傾き、ますます空虚となってゆくばかりだ。そうではないか。むしろ、常に我々を巡《めぐ》りややともすれば我々に襲い掛ろうとしている所の数知れない痛苦と心配とから離脱しようという事を希《ねが》うべきだ。すべての悪《あ》しき雲のはらわれた後にこそ誠に『晴やかな平和、ゆるぎなき心の静けさがある。』のではあるまいか。」
「絶えざる修養によって迷を去らねばならぬ。そしてもっとも正しい生活に入る事を思わねばならぬ。そうすれば不安や恐れが無くなるのであろう。間違がないという事より強い事はない。泰然として他の何物からも煩《わず》らわされるという事がなくなるであろう。」
「それからまた、我々は高尚にならねばならぬ。滅《ほろ》び易き形や物に淡くなり、永く続くであろうところの心と美とは濃くなってゆく事が必要である。こういう風にして初めて限りもなく都合の良い友情とか善意とかいうものが広く成り立つのである。そうなれば、自分一個人だけではなく、我々の住んでいる社会全体がいかにも滑《なめ》らかに滞《とどこお》りなく愉快なものとなるであろう。」
また、老医師はいうたであろう。
「決して一人という事を思うべきでない。人間はそれを取囲む雰囲気が必要である。それだから各人が「自分だけの都合、勝手という考からできるだけ慎み合わなければいけない。そしてめいめいが、できるだけ、悪るい影、悪るい臭気、悪るい響、こういうものを自分から発せしめないように努むべきである。そうではないか。」
これらの事は、みんないつも順序がきちん[#「きちん」に傍点]と定まって
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