いつも甘い、不敵な、息の窒《つ》まるような予感が通り雲かなどのように、すーっと男の体内を過ぎて行った。男の手にはおのずからある重い力が加わって来た。と、この時初めてお志保は口を開いた。どこかへ引っかかるような、ほとんど聞きとれないような幽《かす》かな声で、「わたし、……懐妊なんでございますわ。」と、云った。
 庸介はそれを聞いた。彼の心の中では、何か積み上げてあったものが急にがらがら[#「がらがら」に傍点]と壊れ落ちたような響が聞えた。とはいえ、そこには愚かな濃い靄《もや》が一ぱいにたちこめていたので、その響はまったく鋭さのない遠い朧《おぼ》ろ朧《おぼ》ろしいものになっていた。……
 お志保はしばらくしてそこを去った。

 白い光の月が空にあった。時々、薄い雲がそれにかかって虹《にじ》のような色に染められた。庭には木々の黒い影が、足の入れどころもないまでに縦横に落ちていた、庸介は小松の林をぬけ、池を廻って母屋《おもや》の裏手へ出た。ばさっ[#「ばさっ」に傍点]とした八《や》ツ手《で》の木の上からちらちら[#「ちらちら」に傍点]と灯が洩れていた。それはお志保の居間の小窓であった。幸いにも
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