にして三月が来た。麗《うら》らかに晴れた日が続いた。長く固まり附いていた根雪が溶けて、その雪汁がちょろちょろ[#「ちょろちょろ」に傍点]と方々で流れた。黒い土の肌が久し振りに現われた。そこにはいつの間にかすでに若草が青々と芽を出していた。長々湿っていた樹木の皮からほかほか[#「ほかほか」に傍点]と水蒸気がたち上った。どこかの隅から、かの四月や五月やが人知れずにこにこ[#「にこにこ」に傍点]して覗いているような気勢《けはい》さえ感ぜられるのであった。
 房子のその後の経過はことのほか良好であった。老医師の家では彼女の退院の日を指折り数えて待っていた。帰って来たらしばらく温泉場へでもやって置いたら良かろう。そしてそれに附き添うてゆくのは庸介が良かろう、と、そんな事まで相談されていた。
 ある日の午後、庸介が、自分の部屋でしきりに何か書き物をしているところへ、そーっとお志保が入って来た。彼女のようすにはどこか落ち附かないおどおど[#「おどおど」に傍点]した処があった。彼の側近くへ坐ったまま伏目になって黙っていた。そして時々|幽《かす》かな吐息を洩らしたりした。庸介は、お母さんにでも気づかれた
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