めに家の金を持ち出して、それで東北地方へ行って林檎園を企てようとしたがうまく行かず、それから山林、牧畜などにも手を附けようとしたがいずれも物にはならず、ついに北|亜米利加《アメリカ》へ渡って労働に従事した。それからが六年ほどになる。それでやはり面白い事もないらしい。最近に次男の修二のところへ来た手紙には、「……さて、愚生には当分帰国出来そうにもない。一生をこの地で過すやも知れないから、愚生の事はこの世になきものと思って後の事はくれぐれもよろしくお願いする。いずれ土産でもできたら一度みんなにお目にかかりに行こう。何分にも遺憾至極なのは今もって父母に御報恩|相叶《あいかな》わない一事だ。貴下にはできる限り御孝養のほど御願い申上げる。……愚兄より」こんな意味の事が書き記されてあった。
 次男の修二は、夙《はや》くから実業に志し、これは万事好都合に運んで、今は神戸の街にかなりの店を開いてそこの主人として相当に活動している。こんな訳で今更ら、こんな所へ来てこんな家の相続をするなどは思いも寄らぬ事であった。その次ぎがこの庸介であるが、この問題はそこまで行く前に律子の上に向けられた。彼女は豊夫が、家
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