して横になったりしたのであった。
夏の太陽が赤々と燃えて、野の末の遠い山の蔭へ落ちかけた頃になって、宿の女中が胡散臭《うさんく》さそうに、
「あの、……お客様はお泊りでござんすのかね。」
と云った時にようやく立ち上って、そこを発《た》つ仕度に取掛った。そして彼は口の内で苦々しく独言《ひとりご》った。
「お客様はお泊りでござんすのかね、だとさ。これはいったい、何と云うこった。俺は六年ぶりで自分の郷里へ帰って来たんだよ。自分の生れた家が、ついここから一里半しかない所にあるんじゃないか、そうさ。……そして家の者がみんなで自分を待っていてくれているんじゃないか。……それだのにこの人はそこへ明るいうちは乗り込めないんだとさ。誰がそんな事を本当にする者があるものか。……」
それは、彼が今年三十歳の大人であったという理由からであった。――そうではない。そんなはずのある道理がどこに在るものか。否、それではこう言ってみよう。もし、彼が今十七歳の少年であったとしたら、たといどんな場合だとしても、何でそんな真似をしたであろう。
彼は二十三歳の時、東京のある専門学校を卒業した。その後、一年半の間、就職
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