とするのゆえをもって、口語体が一番良いと云った。それに対して彼の父はあくまでも漢文口調の文体を主張した。そんな事から議論に花が咲いて、しまいには全然それ等の事から離れたさまざまな問題にまで移り移ってゆくのを免《まぬか》れなかった。

     七

 老医師の云う所は、哲学というよりは当然それは処世術とも呼ばるべき種類のものに限られていた。彼は常に(欲望の節度、明らかな教養、気高い心ばえ)こうならべて云うのであった。そしてそれについて、その場合々々に応じてそれぞれ適当な説明を附けて行った。
「むやみに快楽を追おうとする所にいっさいの紛雑が生ずるのだ。苛《あせ》れば苛《あせ》るほど、藻掻けば[#「藻掻けば」は底本では「薄掻けば」]藻掻くほどすべてが粗笨《そほん》に傾き、ますます空虚となってゆくばかりだ。そうではないか。むしろ、常に我々を巡《めぐ》りややともすれば我々に襲い掛ろうとしている所の数知れない痛苦と心配とから離脱しようという事を希《ねが》うべきだ。すべての悪《あ》しき雲のはらわれた後にこそ誠に『晴やかな平和、ゆるぎなき心の静けさがある。』のではあるまいか。」
「絶えざる修養によっ
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