出をする一年前に持った唯一の子供であったので、それに養子婿をさせて……という事に親族会議でほぼ定められてあるのであった。
「養子と云ったところで、立派な教育のしてある者は、なかなか、手離そうという親もなし、それに本人にしても、そんな事はあまり望むものでもなしさ。……それだから、性質の良さそうなものを今のうち貰い受けて、こっちの手で教育しようかと思うているのだよ。……この隣り村に一人気に入った子供があるのだが、両親が承知してくれれば良いがと思うているのだ。」こんなふうに云い出すのであった。
「やはり医者がよかろうと思うのだ。とにかく、こうしてこれまでやって来たのだし、このままあとを絶やすのも惜しいと思ってね。それに、そうなれば私もいっしょにやる人ができてどんなに好都合だか知れやしないしね。」
「は。」
「あの子も、来年はもう十三歳になるんだ。あと二年で女学校へ入るだろうし、それから四年するともう卒業するのだ。月日の経つのはほんとに早いものさ。そういうている内についそんな時がやって来るのだ。」
「は。」
庸介は、父の考え方と自分の考とがひどく違っていることを思うた。ある時、彼は、
「養子なんてことは、大体があまり結構なものではありませんね。」こんな事を云った。
こんな話しの出る席には、彼の母も加っているのが常であった。庸介のこの言葉は彼の母の心をぎゅっ[#「ぎゅっ」に傍点]と荒らく掴《つか》んだ。彼女はすぐに、
「なぜだい。しかし、やむを得ない時にはね。」と云わないではいられなかった。
続いて父が問うた。
「ほかに何か名案でもあるというのかい。」
「しかし、そんな不自然な事をしたって、結局、いたずらに複雑と面倒臭さとが殖えるばかりじゃありませんか。」庸介は何の気もなくこんなふうに答えるのであった。
「と云って、この先、それではこの家はどうなって行くのだい。」父が重ねて問うた。
「その時には、またその時にする事があるでしょう。」
「と、いうと?」
「さあ。」
黙って考に沈んでいた母が、この時、悲しそうな顔をして、
「つまり、お前のような事を云えば、この屋敷はしまいには畑になって行ってもかまわないと云うようなものではないかね。」と云った。
「そうかも知れませんね。……しかし、どんな事があろうとも、あなた方の生きておいでの間はそんな事をしない方がいいでしょう。」
「馬鹿な! 誰がそんな事をするものか。」父は云った。
「何だか、わたし、いやだね。」母が云った。
「庸介の云うようでは、まるで無責任きわまった話しだ。まったくさ。先祖代々の屋敷を畑にして良い位なら、何で私達がこれまでこんな苦労をして来たであろう。」たまりかねたようにして父が云った。
「しかし、私共がまたどこかで新らしい先祖となって行ったら、それで同じことではありませんか。――私などの考ではこういう事はできるだけ自由な、どうでもいいような気持ちでいられるのが一番幸福だと思うんですがね。」
「あゝ、厭だ。もう、そんな話しは止《よ》しにしよう。……そんな事を考えるとほんとに心細くなってしようがないから。……だから妾はいつもそう思っているんですよ。どうかして妾は誰よりも先きに死んでゆけばいいとね。……あとに一人ぼっちで残されたりしたら妾、ほんとにどうしよう。……」
母が、こう云い出したので庸介は、自分が今何を云っているかという事に初めて気が附いた。「何という事だ。俺は実に何という馬鹿者なのだ。何の益にもならない、下らない事をしゃべり散らして、それがために父や母はどんなにか心を傷《いた》めておいでの事だか……」こう思うて急に口を噤《つぐ》んだ。自分の無分別がたまらなく口惜しかった。で、彼は、まるでお詫びでも申上げるように、
「お母さん、これはみんな、いつもの私の出鱈目《でたらめ》なんですよ……馬鹿な、そんな事を云い出しっこはなしにしましょう。ね、みんなじょうだん[#「じょうだん」に傍点]なんですよ。……それに私のような者が何を云ったって、どうなるもんでもありゃしないじゃありませんか。」と云った。
何もかもこの一言で、今まで云った事をすっかり烟《けむり》にして掻き消したいものだと願った。
八
太陽が地平線へ沈んだあとのしばしが間の野のながめ、その美しさ、その静けさはまた何に譬《たと》えよう。……畑中の並木が紫に烟り、昼間は藍色《あいいろ》に見えていた遠くの山々が、今は夕栄《ゆうば》えの光りを受けてほとんど淡紅色と云い得るまでに淡く薄い色になってゆく。まるで(色づけられた気体)と云ったように……あたり一面に低く白い雲が下りて来る。野の末は次第に空と溶け合い、そしてそこからやがて静かな重い夜が迫って来る。するとそれを待ちかねていたかのように村々の寺からつき出す鐘の音
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