、その園の一隈にあるベンチの上へ並んで腰をおろした。
庸介は非常に爽やかな気持ちになって来た。それと同時に、妹の房子がこれまでになく可愛らしく感じられて来た。彼女は、その辺にある、まだ花を附けない二三の草花について説明をした。それから、どうしたのだか、そのベンチのすぐ側の所に植えられてある、咲き揃うているスウィート・ピーの花にじっと見入りながら黙り込んでしまった。兄は、妹のそのようすに気がつくと、「このような、可憐《いたいけ》な少女の心にも何かなやみ[#「なやみ」に傍点]と云ったようなものがあり得るものだろうか。」と思った。「もしも、実際にそんなものがあるのだとすれば俺の力で何とかそれを今すぐに除き去ってやりたいものだ。」心の中で静かにこう云った。しかし、彼は、そんな事は素振りにも見せずに、
「何て綺麗なんだろう。そして、まあ、何て可愛らしいんだろうね。この赤い花は!」
うぶ[#「うぶ」に傍点]毛の生えている妹の白い手を執《と》らぬばかりにして、こう云った。
こう云われて房子ははっ[#「はっ」に傍点]とした。そして懶《ものう》げに、とは云えいかにも懐かしげに、
「え。わたしはこの花が大変に好きなんですのよ。」と、云った。
彼女は、先刻から、いつか一度は試してそれに対する兄の意見を訊《き》いてみようと思っていた例の自分の唯一の問題についてしきりに考えていたのであった。兄さんこそは本当に自分の心に納得《なっとく》できるような答をしてくれる人だと、ずーっと以前からそう思うていたのであった。兄さんは、何と云っても自分の知っているすべての中での一番立派な思想家なんだ、とは彼女の堅く信じている所であった。それに兄さんは誰よりも今の若い人達の心をよく知っている。そして事実、東京で若い多くの女のお友達もおありの事であったろうし……こんなふうにも思うているのであった。――いつか云い出そう、云い出そうと思いながら、いつも良い機会を見出せないでいたのを、今こそはもっとも良い時だと、先刻、最初に兄の顔をちら[#「ちら」に傍点]と見た時にすぐにそう思ったのであった。
幾度か口の中でためらった[#「ためらった」に傍点]揚句《あげく》、
「妾《わたし》ほど不用な人間は一人もありませんわ。……妾は自分が哀れで堪まりません。……妾は何をしたら一番善いのでしょうね。兄さん。どうぞ、それを教えて下さい。いゝえ。兄さんはきっとそれを知っていらっしゃいます。」
羞《はず》かしさのために顔を真赤にして、両の眼には涙さえ浮べながらやっと[#「やっと」に傍点]これだけを云う事ができた。しかし、彼女自身は自分が今、何を云ったのだかよくは解らなかった。庸介は今度は本当に妹の手に触れた。それを自分の両方の手の間へしっかり握りしめながら、少しの間を措《お》いた後、精一杯な爽快さを声に表わして、
「お前の云う事はみんな間違っている。ね、房子。今、お前の云ったような事は、それは、醜く生れついてそれでいつも退屈ばかりしている者の云う事だよ。……それだのに、お前のようにこんなに美しい可愛らしい人が、何でそんな事を云う事があろう。お前は、自分の美しい事ばかりを思うていればそれで良いのだ。一生涯。……それがお前のしなければならない一番善い事なのだ。……ね、房子。わかったかい。」
こう云って、彼は[#「彼は」は底本では「彼に」]妹の手に接吻を与えてやった。
房子には、自分がからかわれて[#「からかわれて」に傍点]いるように思えた、しかしそれがまた、何だか馬鹿に嬉しいようでもあった。そして兄のこの一言のために、不思議にも今まで自分に附き纒うていた厭《いと》わしい影が一時に跡もなく消えて行ったように思われた。……永遠に。何だか笑い出したくなって来た。じーっとそれを口の中で堪《こら》えていても、次第に、それはどうしても堪えきれなくなって来た。彼女はとうとう[#「とうとう」に傍点]真赤になってふき[#「ふき」に傍点]出してしまった。
六
郵便の配達は、日に二回ずつしかなかった。午前の十時頃と、午後の三時頃と、この時刻になると、彼はいつもうろうろ[#「うろうろ」に傍点]と玄関のあたりを行ったり来たりして少しも落ち着いてはいられなかった。それは、傍《はた》の人達の目にもそれと気がつくほどであった。配達夫が門の中へ入って来ると、きまって彼がそれを受取りに出た。そのくせ、その中に自分の分があってもすぐにそこで開いて見るような事は決してせず、その場は妙に済まし切った顔附をして一まず自分のふところの中へ納めてしまうのである。そして、どうかするとそのまま自分の部屋へ引込んで、そこから長い間出て来なかったりする事があった。
この事を、彼の母はひどく気にした。息子に何か自分達の知らない秘
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