」
こんな事を云い出したので、みんなすっかり、楽《ら》っくりして悦《よろ》こんだ。病人がしきりに事のおこりを聞きたがるままに、母がそのあらましを話してやった。房子は熱心にそれに聞き入っていたが、急に、酷《ひど》くふさぎ出した。それからやや長い間何か深く考えこんでいるようすであったが、急に、いかにも絶望的な声をあげて泣き出したのであった。誰一人としてその意味がわからなかった。いたずらにまごまご[#「まごまご」に傍点]して彼女の背中を擦《さす》ってやったりするほかになす術《すべ》も知らなかった。
幾日も房子の容態ははかばか[#「はかばか」に傍点]しくなかった。彼女は、誰が何と云っても黙りこんで重く欝《ふさ》いでばかりいた。時々いかにも堪え兼ねたと云ったように、わあ[#「わあ」に傍点]と急に泣き出したりするのであった。
房子は、自分の身体の所々に痛みがあるように覚えた。それは、みんな「あの時」のが残っているのだと思った。そう思うと一切がそんなふうに意做《おもいな》されて行った。どの追想もどの追想もすべて「それ」を証明するに十分であるように思われた。庸介は彼女をかくまで酷《ひど》く心痛させている根をすぐに了解できたので、妹の部屋へ行くたびに、
「そんな馬鹿な! 断じてそんな事はなかったのだよ。……僕が確に証明してやる。……お前が叫び声をあげた時と、僕が走《か》けつけて行った時との間には、三十秒とは経っていなかったのだから。」こう云って聞かせた。しかし、房子は、それを信じるよりも自分の思っている方を信ずるのが何層倍も真実らしく、かつ楽のような気がした。彼女の意識内には、次第に惑《まど》いが無くなってゆき、悲痛のみが間断なく、反対なく独占してゆくようになった。そして不思議にも今は、それの方がかえって彼女自身には安易で、どこか快いように思われてゆくのであった。仕舞には父の与える薬さえ嫌い出した。
「身体《からだ》の方はもう何ともないんだわ。それだのに何でこんな薬をいつまでも飲んでいなければならないというのだろう。」なんて云うようになった。「なんでも、妾を呆然《ぼんやり》にさせてしまって、それで『あの事』をすっかり妾から忘れさせてしまおうというんだわ。」と思った。
「そうとしても、これを飲むと馬鹿に睡《ねむ》くばかりなってしようがないんだもの。何か考えようとしてもどうしてもそ
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