に傍点]出て来たからとて、それは少しも可怪《あや》しく思われるような事もないのであった。
庸介は、ずーっと前から、そこに深く心を寄せていた。
入口の戸がいつも半開きのままに打ち捨てられてあった。彼は時々ここへそーっと一人で忍び込んで行った。昼間でもその中は薄暮のような光しか無かった。頭の上へおっかぶさるように藁束が堆《うずたか》く積み重ねられてあった。すかすか[#「すかすか」に傍点]するような、それでいて馬鹿に甘ったるい乾藁の蒸《む》れる匂いがいつもむんむん[#「むんむん」に傍点]籠っていた。屋外の苗木林で、木の葉がそよ[#「そよ」に傍点]風のためにひらひら[#「ひらひら」に傍点]と裏返えしにされるのや、やがて枯れてからから[#「からから」に傍点]と散ってゆくさまやが、戸のすき間から覗かれた。
彼は、小半時間もそこから出て来ないような事もあった。そして注意深くあたりのようすをうかがっていた。また、どうかすると、藁束に身を靠《もた》せかけたままいつか心持が重くなってついうとうと[#「うとうと」に傍点]転寝《うたたね》の夢に入るような事さえもあった。それにもかかわらず、これまでについ[#「つい」に傍点]ぞ一度、物に驚かされたという事も無ければ、近づいて来る人の足音さえも聞かなかった。
彼は、そこから再び外へ出て来ると、いつも「まったく安全だ。」こう思わない事はなかった。
彼女の心は、すでに十分に鞣《なめ》され、撓《たわ》められてあった。この上はただ、彼女に最後の暗示を与えさえすればよいのであった。……
十二
農家では夕飯がすむと多くは早くから寝床へもぐり込んだ。若い者どもだけは、煙草入れや尺八などを腰へさしこんでそーっ[#「そーっ」に傍点]と外へ出て行った。卑猥《ひわい》な雑談にふけったり、流行唄《はやりうた》を唄ったりして夜更けまで闇の中をあちこち[#「あちこち」に傍点]とうろつき廻った。年頃の娘のいる家の裏口のあたりへ忍び寄って、泥棒ではないかと家の人達に怪しませたりする事も尠《すくな》くはなかった。庸介の家の女中部屋の裏でも時々そうした怪しい人影が出没した。夜廻りに行った人に驚いて、慌ててばたばた[#「ばたばた」に傍点]走《か》け出したりする事もたびたびであった。家の人達は老医師はじめそれを快い事には思わぬながらも、長年馴れっこになってい
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