、秋の薄日が追うようにして間もなく儚《はかな》いその光を投げてぱーっと現われ出たりした。雨が、まるで歩いているかと思われるようにして過ぎてゆくようであった。
 庸介の机の側には大きな火鉢が新たに据えられた。彼は疲れて来ると、静かに筆を擱《お》いてそれに両手をかざした。
 こうした気候の変り目に、ちょっと不用意をしたために風邪をひいてある日とうとう[#「とうとう」に傍点]床を起き出る事ができなかった。彼は寝ながら、これまで書いて来たたくさんの原稿の中からあれこれと引き出して読みかえしたりして一日を暮らした。その翌日も快くはならなかった。その日も前の日と同じような事をして寝ていた。が、しまいにはそれにも倦《あ》いて来た。何にもしたくなかった。で、原稿を枕元から押しやって静かに目をつぶった。
 とりとめ[#「とりとめ」に傍点]もない事を小一時間も思いめぐらした後で、彼は小さな声で囁いた。
「俺もずいぶんといろいろ[#「いろいろ」に傍点]な事をして来た。……ところで、どこと云って美しい部分というものが一つもない。」
 実際、彼には、自分や自分達のして来た事、なし得た事のすべてがあまりに醜かったように思われたのであった。よく「美しい少年時代のあこがれ!」と云うような事が云われているが、今、彼の心には自分の少年時代が決してそんな姿をしては映って来なかった。その頃を思い出せば何もかもがあまりに浅墓すぎ、あまりに分別が無さ過ぎ、あまりに意地っ張り過ぎていて、一つとして慙愧《ざんき》の種でないものはなかった。
「これから先もやはりこの通りであるかも知れない。……そして俺の一生は終ってしまうのだ。」
 こうも思われた。つまらない生存だと思った。つくづくと世の中が味気なく感じられた。幾度となく大きな溜息を洩らしたりしているうちに、淋しい冷たい涙がいつか彼の両方の眼に浮び出て来た。……
 健康は間もなく回復された。雨は高く霽《は》れ上った。しかし彼は何かおびただしくがっかり[#「がっかり」に傍点]したようで、それからというものは仕事の方に少しも興が乗って来なかった。「何故にかく物淋しいあじきない世の中であるか。」そんな、とりとめもない思いが何日までも続いた。それでいて、どこか底の底の方では、「俺にはようく[#「ようく」に傍点]解かっている事があるのだ。……ただそれは口に出して云えないだけだ
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