いて何の渋滞もなかった。老医師の口から、ちょうど滑らかな物の上を水の玉が徐々に辷《す》べり落ちでもするかのようにいかにも流暢《りゅうちょう》に流れ出るのであった。そして、そのように喋舌《しゃべ》るという事、その事がすでに彼自身には何とも云えず愉快に感じられるらしくあった。
それに反して、庸介には、自分の考えてる事に一ツとしてこれと纒った形をしたものが無かった。それでいて、自分の面前でこんなふうに云い出されると黙っている訳にはいかなかった。父の云っている事は一から十までみんな反対しないではいられない事ばかりのように感じられた。それに、何よりもその悠揚《ゆうよう》とした話しぶりが彼には堪え得られないものに思われた。彼には、すべての真理というものがこんな風に流暢に語り得らるべき性質のものでないようにさえ思われた。こういう時には、彼はやや激して、鋭く叫び出すのが常であった。
「あなたのおっしゃる[#「おっしゃる」に傍点]ようでは、それではまるで日向《ひなた》ぼっこです。……生きながらにして美しい笑顔をしたミイラにでもなれ、という事と同じです。そんな事が我々にできましょうか。……第一、退屈で我慢ができないでしょう。しまいにはその退屈のために世界中が窒息して亡びて仕舞うかも知れません。……」
彼の言葉は、すぐにぽつり[#「ぽつり」に傍点]と切れてしまう。そしてそれに続かる言葉が、もういくら探しても、おそらくは全宇宙に一つもないように思われた。
「己《おの》れの自我が無いところに全実在が何でありましょう。」
「たった『一日』しか願わない人間があったとしましたら……。」
「そうです。二度と帰って来ない決心で進んで行くとします。――一ツの埒《らち》を破り、また他の埒を越え、こうして限りなく突撃し、拡大してゆくとします、そういう事をする性質をおのずから具《そな》えた者があったとしたらどうしましょう。封じる事を厳しくすればするほど、抑える事を重くすればするほど、いよいよ爆発するような事があったとしたら?」
「みんなといっしょに居る事に堪えないような人があったとしたら、そしてその人はみんなの中に混り込んでいればいるほど悲しく淋しくなって来て、どうしてもそれに堪え得られないとしましたら……。」
「崇《とうと》き憤り!」
「際涯なき自由!」
彼は、ついに、一つの句さえ満足に云えないように
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