とするのゆえをもって、口語体が一番良いと云った。それに対して彼の父はあくまでも漢文口調の文体を主張した。そんな事から議論に花が咲いて、しまいには全然それ等の事から離れたさまざまな問題にまで移り移ってゆくのを免《まぬか》れなかった。

     七

 老医師の云う所は、哲学というよりは当然それは処世術とも呼ばるべき種類のものに限られていた。彼は常に(欲望の節度、明らかな教養、気高い心ばえ)こうならべて云うのであった。そしてそれについて、その場合々々に応じてそれぞれ適当な説明を附けて行った。
「むやみに快楽を追おうとする所にいっさいの紛雑が生ずるのだ。苛《あせ》れば苛《あせ》るほど、藻掻けば[#「藻掻けば」は底本では「薄掻けば」]藻掻くほどすべてが粗笨《そほん》に傾き、ますます空虚となってゆくばかりだ。そうではないか。むしろ、常に我々を巡《めぐ》りややともすれば我々に襲い掛ろうとしている所の数知れない痛苦と心配とから離脱しようという事を希《ねが》うべきだ。すべての悪《あ》しき雲のはらわれた後にこそ誠に『晴やかな平和、ゆるぎなき心の静けさがある。』のではあるまいか。」
「絶えざる修養によって迷を去らねばならぬ。そしてもっとも正しい生活に入る事を思わねばならぬ。そうすれば不安や恐れが無くなるのであろう。間違がないという事より強い事はない。泰然として他の何物からも煩《わず》らわされるという事がなくなるであろう。」
「それからまた、我々は高尚にならねばならぬ。滅《ほろ》び易き形や物に淡くなり、永く続くであろうところの心と美とは濃くなってゆく事が必要である。こういう風にして初めて限りもなく都合の良い友情とか善意とかいうものが広く成り立つのである。そうなれば、自分一個人だけではなく、我々の住んでいる社会全体がいかにも滑《なめ》らかに滞《とどこお》りなく愉快なものとなるであろう。」
 また、老医師はいうたであろう。
「決して一人という事を思うべきでない。人間はそれを取囲む雰囲気が必要である。それだから各人が「自分だけの都合、勝手という考からできるだけ慎み合わなければいけない。そしてめいめいが、できるだけ、悪るい影、悪るい臭気、悪るい響、こういうものを自分から発せしめないように努むべきである。そうではないか。」
 これらの事は、みんないつも順序がきちん[#「きちん」に傍点]と定まって
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