。また、ある時、学校の倫理の教室で、あの温良な、年老いた先生は次のように云われた事があった。
「人間はいかなる場合に立到っても決して迷う事をしてはいけません。絶望するという事があってはいけません。常に『限りなき前途』という事を考えるのです。――否、そう云ってはかえって解らなくなるかも知れません。まあ、こう云いましょう。あなた方一人々々について考えてごらんなさい。――例えば将来に、立派な人の妻になる時の事を考えるのです。そう願うのです。もしまた、不幸にして自分の夫となった人が邪《よこしま》な人間である事を見出した場合には、自分の純白な心をもって、それを何とかして正しい道に導き入れてやろうと思うてみるのです。そういう風にして立派な勇気を養うのです。……それから、やがて二人の間に生れて来る自分達の子供の事について考えてごらんなさい。さて、その子供というものはまあ、何と云ったら良いのでしょう、それは、どんな子供でも遣《や》り方《かた》一つでどんな立派な人間にならないとも限らないのです。……この点です。もしも、万一、あなた方が自分自身に望みを失うような事があった場合か、もしくは本当に美しい謙遜な心になり得た場合にはこの偉大なる望みと結び附くことです。私があなた方にお勧めしたいのは実にこの事です。そういうと、何かあなた方に対して失礼なようではありますが、自分自身が偉くなろうと思うよりは、むしろ、皆様女の方は、自分の子供を偉いものにしたいと云う事を志して頂きたいのです。……できるだけ多くの女の方が、……そこにこそ本当の『限りなき前途』があるのです。……もちろん、それがためには自分自身をも修養しなければなりません。されば、どうぞあなた方は自分の処女時代をその修養のために、そうです。立派な母となる準備のために費すようにして頂きたいと思うのです。……とにかく、……いずれにしても、いかなる場合に立到っても前途の望みを捨てるような事のないように、これだけは特によく記憶して置いて頂きたいのです。それでは、私は、『あらゆる罪悪は、まったき絶望よりのみ生ず。』こう申して置きましょう。」
房子は、これをいつまでも忘れなかった。その後、幾度となくその言葉を自分の心の中で繰り返してみた。そのたびごとに彼女はそれに少しも不同意を持ち得なかった。それにもかかわらず、例の測り難き欝憂と退屈とは依然として消
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