が、麦魚《うるめ》を採ってくれってきかないんだもの。暑いから止しましょうって云ったら『日曜日くらいは妾と遊んでくれたっていいじゃないの』って泣き出すんですもの。」と、云った。
 そして今度は、律子の肩へ手をかけて、
「さっき泣き出したのはだあれ[#「だあれ」に傍点]?」
 こう云って律子の顔を覗き込むようにしてにっこり[#「にっこり」に傍点]した。
 庸介は、なんだか、自分が責められているような気がした。妹から、「あなたは何という不愛相な兄さんなんでしょう。妾になんかちっともかまって[#「かまって」に傍点]くれないのね。」とでも云われたような気がしたのであった。そこで彼は元気よく、
「どれ、僕が採って上げよう。ね。律子。」
 こう云って立ち上った。

     五

 房子は、自分自身を不幸《ふしあわせ》であるとは思えなかった。とは云え、自分のしているどの一つ一つについて考えてみても、またそれらをみんな集めた自分の生活全体というものを考えてみても、どうしても「これで良いのだ。」という確信を持つ事ができなかった。そうかと云って、それをどうすれば良いのだかほかに何を初めたらばよいのだかを知らなかった。それがために彼女は、どんな場合にでも何かしらある同じ欝憂に出遇わない訳にはゆかなかった。それはきわめて幽かなものには相違なかったが、彼女の心ではとても測り知り得られないほど広い、大きな、――云わば、何もかも、世界中のあらゆる物をそれで包んでいるのではないかとさえ思われるようなものであった。それを思うと、彼女はいつも妙に退屈を感じた。何をしている時でも、すぐにその事が退屈になり出して来るのであった。
 それは、もう、長い長い以前からの事であった。
 女学校の三年級であった時、彼女は、ある書物の中にちょうど自分と同じような事を思うている一人の少女の事が書かれてあるのを読んだ。すると、その少女に対して、その叔父に当る、ある学識のある親切な人が、
「それは、……そうだ、(何か、こう、善い事をしたい。)こんなふうに考えてみるのだ。(何か、こう、有益な事をしたい。)こんなに思うてみることだ。……」
 こんな工合に答えていた。
 房子は、それは恐らく真理なのだ、と思うた。しかし、それを直接わが身の現在の境遇に引移して考えてみると、まるで大空を眺め上げるようで何のあても見出せないのであった
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