よ。……何だってそう薄気味悪るく俺を凝視《みつ》めるのだ。なあにお前達のようなものに幾ら睨まれたって俺の値打は決して変らないのだからね。何で変ったりなんぞするものか。……しかし厭だ。もう止してくれ。お前に用はない。早くあっちへ行ってくれ。」
こう呟《つぶ》やき出すものなどもあった。彼が、客室の床の間の前に立った時、そこに何か黒く光る木の台に載せられてあった白色の半透明な石材の香爐と、そしてそれに施こされてあるきわめて微細な彫刻とが確かにそうであった。庭に在る、苔《こけ》むした怪しげな古い石や、不自然に力《りき》みかえっている年老いた樹木やは、彼に対して皮肉な、不明瞭な説明を試みた。否、説明ではない、それはむしろ毒々しい嘲笑であった。そして彼はどこへ行っても、自分自らのこの上もなく貧しい事と、何物とも馴染《なじ》み得ない孤独とを感じた。
帰郷して五日目の朝、彼は初めて裏門を出て、そこに遠く展《ひら》けている豊かな耕原を眺めた。
夏の真紅な日光があらゆる物の上に煌々《こうこう》と光っていた。彼の目にそれが痛く感じられるほどであった。遠い左手に当って大きな桃林があった。その林の上では薄緑色の陽炎《かげろう》がはっきり[#「はっきり」に傍点]と認められた。右手には美しく光る青田が限りもなく続いていた。他の方面に、そこにはキャベツ畑の鮮明な縞があった。近い南瓜畑《かぼちゃばたけ》では熊蜂のうなる音がぶんぶん聞えていた。高く葦を組んでそれに絡《から》み附かせた豌豆《えんどう》の数列には、蝶々の形をした淡紅色の愛らしい花が一ぱいに咲いていた。農夫とその女房達やが、そこここに俯向《うつむ》いて何か仕事をしていた。とは云え、これ等は何も決して物珍らしい景色というのでもなかった。ことにこれは、彼にとってはこれまでに飽きるほども眺めかえされて、……と云うよりはむしろ、あまりに親しいがままにかつてはことさらに眺めるという事さえなかったほどのものであった。それだのに彼は今ここに立って、云うばかりない清新の感にうたれて子供のように歓《よろこ》ばしくなって来た。それがために、自分の現在のさま/″\の事も何もかも一遍にどこかへ消えて行ったかとさえ彼には思われたほどであった。
彼は、畑と畑との間を辿《たど》って進んだ。河骨《こうほね》などの咲いている小流れへ出た。それに添うて三四町行くと、そ
前へ
次へ
全42ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 泰三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング