》のよくない鶏《とり》とたゞで取替へてやることを申出た。なほ、近所の百姓たちに簡便に出来る蔬菜《そさい》の速成栽培のやりかたを教へたり、子供のある家では子供の内職として家鴨《あひる》を飼ふやうにといふやうな事を奨励してあるいたりした。
 欣之介は、自分の農園の中央部に小さな洋風の小舎《こや》を建てて、そこでたつた一人で寝起してゐた。その建物は八畳ばかりの広さの部屋と、それに隣《とな》つた同じ広さの土間との二つの部分から成立つてゐた。出入口は土間の方についてゐた。土間には、こま/\した農具や泥《どろ》のついた彼の仕事衣《しごとぎ》やが一方の壁に立かけたりぶら[#「ぶら」に傍点]下げたりしてあつた。一つの隅に囲炉裏《ゐろり》が設けられ、それを取まいて三四脚の粗末な椅子《いす》が置かれてあつた。冬の夜永《よなが》などには、よく三四人の青年が其処《そこ》へ集つて来て、粗柔《そだ》を焚《た》きながらいつまでも/\語り続けた。それ等の客のなかに、一人の年若い小学教師があつた。彼は、いつも誰かの詩集を懐《ふところ》にしてゐて、よく文学や恋愛のことを熱のある口調で語つた。
「人間は(心)のほかの何物を
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