にはよく、
「そんなに何時《いつ》までも何時までも俺《わし》の援助《たすけ》に俟《ま》たなければならないやうなものなら、何もかも止《よ》して、地面を俺にかへして貰《もら》はなければならない。」と言ひ/\した。
 そんな訳で、欣之介は、大切な時に充分に肥料を施すことが出来なかつたり、手入れが思ふやうに出来なかつたりした。彼は歯を喰《く》ひしばつて口惜《くや》しがつた。が、やつぱりどうすることも出来なかつた。覿面《てきめん》なもので、林檎林はその後、日に増し生気を失つて行つた。と、それにつけ込んで綿虫や天狗虫《てんぐむし》が急にどこからか発生して、盛んに繁殖し初めた。
 ある時、何かの事で葡萄の木の下を掘つてゐた欣之介は、土の中から出て来た水気のない痩《や》せた鬚根《ひげね》を摘《つま》み上げて、劇《はげ》しい痛ましさを覚えた。そして伸び上つて幹を検《しら》べてみると、それは明らかに或る一種の恐ろしい病気に襲はれてゐることが判《わか》つた。
「あゝ、可哀相に、父が自分の考へてゐることを理解してくれさへしたら。」
 彼は落胆《がつかり》して吐息をついた。持つてゐた鍬《くは》が彼の手から滑り落ちて、力なく地べたに倒れた。

       四

 幾年かして、欣之介の仕事はやはり一向いゝ成績をあげ得なかつた。
 ある夜、彼は父の部屋へ呼ばれて行つた。そして、そこから長いこと出て来なかつた。部屋の戸を締め切つて、父と子とは、夜が更《ふ》けて家の人がみんな寝静まつた後まで、何やら頻《しき》りに話し合つてゐた。
 それから一ヶ月ばかりして、林檎林で、十数年|前《ぜん》の最初の犂返《すきか》へしの日以来見たことのない賑《にぎ》やかな騒ぎが初まつた。二十人ばかりの日傭人《ひやとひにん》がそこへ入りこんで、林檎や葡萄や実桜《さくらんぼ》の樹《き》を片つぱしから伐《き》り倒してゐるのだ。樹は何《いづ》れも衰へて痩《や》せてゐたが、まだ枯れては居なかつた。幹に鋸《のこぎり》を入れてゴリ/\やる度び、それにつれて梢《こずえ》の方で落ち残つてゐる紅葉した葉がカサ/\と鳴つた。そして、今切離されたばかりの生々しい傷口を持つた切株は一つ/\、自分の場所から退去されるのを拒みでもするかのやうに、それを掘り抜くのにひどく骨を折らせた。しかし、三四日するうちに、そこには何もなくなり真裸《まるはだか》な、穴だらけな、醜態《ぶざま》な土地が残された。
 畑の中央部に在《あ》つた可愛らしい小さな家も無論取こぼたれた。それを取囲んでゐた薫《かぐ》はしい香《にほひ》を放つ多くの草花は無造作に引抜かれて、母家《おもや》の庭の隅つこへ移し植ゑられた。
 この騒ぎの最初の日、欣之介は自分の家に留《とどま》つてゐるに堪《た》へない気がして、朝から隣家《となり》の病身の大学生のところへ出かけて行つた。友達は以前から見るとまた一層弱つてゐた。この分ではとても長くは生きられない、などと自分から言つて嘆息していた。そして、落胆《がつかり》して、悲観してゐる欣之介に対しても寧《むし》ろ「君などは身体がいゝんだから、これからだつて何をしようとも好きだ。」と云つて羨《うらやま》しがつてゐた。
 そこへ、午後になつて、小学校の教師が学校の帰りだと云つて訪《たづ》ねて来た。
「今、お宅へ伺つたら、こちらだといふ事でしたから。……一寸《ちよつと》畑の方をのぞいて来たんですが、まあ、何と言つたらいゝんでせうかね。僕等のやうな弱い心臓《ハート》を持つた者には、とてもあゝした痛々しい光景を立止つて見てゐるに堪へませんな。」こんなことを言ひながら、二人の間に置いてある火鉢《ひばち》の上へ白堊《チョーク》の粉のついた手を差翳《さしかざ》した。
 この人は――運命はこの人にだけ何時も心地《こゝち》よい微風《そよかぜ》を送つてゐるやうであつた――その後間もなく互ひに思ひ合ふ人が出来、やがて願ひが叶《かな》つて結婚の式をあげ、今では既に二人の幼い者の父親でさへある。しかし、彼の物を言ふ調子は昔と少しも変らなかつた。
「だが、今度のことだつて考へてみれば――、僕は思ふんです――あなたにとつては全く何の損失でもありませんよ。たゞ、徒《いたづ》らに悩ましい青春が去つただけです。ほんとに事をなさるには、これからです。」
 欣之介は物をいふ元気すらないと云つたやうに、妙に真面目な顔をして、黙つて沈みこんでゐた。
 秋の末のことで、霙《みぞれ》でも降つて来さうな空合ひであつた。林檎林《りんごばやし》のところ/″\に焚火《たきび》がされてゐた。その火が、三人の話してゐる大学生の部屋の窓からチラ/\見えた。そこから起つて来る日傭人《ひようにん》たちの明つ放しの高笑ひ混りの話声が、意地悪く欣之介の耳について離れなかつた。
 欣之介から取
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