更に碧りの空の上
靜かにてらす星の色
かすけき光眺むれば
神秘は深し無象の世、
あはれ無限の大うみに
溶くるうたかた其はては
いかなる岸に泛ぶらむ、
千仭暗しわだつみの
底の白玉誰か得む
幽渺|境《さかひ》窮みなし
鬼神のあとを誰か見む。
嗚呼五丈原秋の夜半
あらしは※[#「口+斗」、44−上−9]び露は泣き
銀漢清く星高く
神秘の色につゝまれて
天地微かに光るとき
無量の思齎らして
「無限の淵」に立てる見よ、
功名いづれ夢のあと
消えざるものはたゞ誠、
心を盡し身を致し
成否を天に委ねては
魂《たましひ》遠く離れゆく。
高き、尊《たふと》き、たぐひなき
「非運」を君よ天に謝せ、
青史の照らし見るところ
管仲樂毅たそや彼れ、
伊呂の伯仲、眺むれば
「萬古の霄の一羽毛」
千仭翔くる鳳の影、
草廬にありて龍と臥し
四海に出でゝ龍と飛ぶ
千載の末今も尚
名はかんばしき諸葛亮。
夕の磯
見よ夕日影波の上
しばしたゆたふ紅を、
沈まば盡きんけふ一日
名殘はいかにをしむとも
久しかるべき影ならず。
見よ老びとの磯の上
思にしづむ面影を、
逝かば終らむ身の一世
ほだしはいかにつらくとも
久しかるべき命《めい》ならず。
嗚呼雲入りて星出で、
夕日は波にしづみけり、
わが日わが世のあとひとつ
夕波騷ぎ風あれて
嗚呼老びとの影いづこ。
――――――――
暮鐘
[#ここから横組み]
[#ここから5字下げ]
〔“La cloche ! e'cho du ciel place' pre`s de la terre !〕
〔Voix grondante qui parle a` co^te' du tonnerre,〕
〔Faite pour la cite' comme lui pour la mer !〕
Vase plein de rumeur qui se vide dans l'air !”
〔Hugo : Les Chants du Cre'puscule.〕
[#ここで字下げ終わり]
[#ここで横組み終わり]
森のねぐらに夕鳥を
麓の里に旅人を
靜けき墓になきがらを
夢路の暗にあめつちを
送りて響け暮の鐘。
春千山の花ふゞき
秋落葉の雨の音
誘ふて世々の夕まぐれ
劫風ともに鳴りやまず。
天の返響地の叫び
恨の聲か慰めか
過ぐるを傷む悲みか
來るを招く喜びか
無常をさとすいましめか
望を告ぐる法音か。
友高樓のおばしまに
別れの袂重きとき
露荒凉の城あとに
懷古の思しげきとき
聖者靜けき窓の戸に
無象の天《そら》を思ふとき
大空高く聲あげて
今はと叫ぶ暮の鐘。
人住むところ行くところ
嘆と死とのあるところ
歌と樂《がく》とのあるところ
涙、悲み、憂きなやみ
笑、喜び、たのしみと
互に移りゆくところ、
都大路の花のかげ
白雲深き鄙の里
白波寄する荒磯邊、
無心の穉子《ちご》の耳にしも
無聲の塚の床にしも
等しく響く暮の鐘。
雲飄揚の身はひとり
五城樓下の春遠く
都の空にさすらへつ
思しのぶが岡の上
われも夕の鐘を聞く。
鐘の響きに夕がらす
入日名殘の影薄き
あなたの森にゐるがごと
むらがりたちて淀みなく
そゞろに起るわが思ひ。
靜まり返る大ぞらの
波をふたゝびゆるがして
雲より雲にどよみゆく
餘韻かすかに程遠く
浮世の耳に絶ゆるとも
しるや無象の天の外
下界の夢のうはごとを
名殘の鐘にきゝとらん
高き、尊き靈ありと。
天使の群をかきわけて
昇りも行くか「無限」の座
鐘よ、光の門の戸に
何とかなれの叫ぶらむ、
下界の暗は厚うして
聖者の憂絶えずとか
浮世の花は脆うして
詩人の涙涸れずとか。
長く、かすけく、また遠く
今はたつゞく一ひゞき
呼ぶか閻浮の魂の聲
かの永劫の深みより、
「われも浮世のあらし吹く
波間にうきし一葉舟
入江の春は遠くして
舟路半ばに沈みぬ」と。
恨みなはてぞ世の運命《さだめ》、
無限の未來後にひき
無限の過去を前に見て
我いまこゝに惑あり
はたいまこゝに望あり、
笑、たのしみ、うきなやみ
暗と光と織りなして
歌ふ浮世の一ふしも
いざ響かせむ暮の鐘、
先だつ魂に、來ん魂に
かくて思をかはしつゝ
流一筋大川の
泉と海とつなぐごと。
吹くや東の夕あらし
寄するや西の雲の波
かの中空に集りて
しばしは共に言もなし
ふたつ再び別るとき
「秘密」と彼も叫ぶらむ。
人生、理想、はた秘密
詩人の夢よ、迷よと
我笑ひしも幾たびか、
まひるの光りかゞやきて
望の星の消ゆるごと
浮世の塵にまみれては
罪か濁世《ぢよくせ》かわれ知らず。
其塵深き人の世の
夕暮ごとに聲あげて
無限永劫神の世を
警しめ告ぐる鐘の音、
源流《げんりう》すでに遠くして
濁波《だくは》を揚ぐる末の世に
無言の教宣
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