ヨージ・サン、エマスン、ユーゴーのそれである。右例言中の『古來の習慣』は今思へば『或時代の習慣』と訂正すべきであらう。カーライルのは「英雄崇拜論」の第三講にいふ處、シエリイのは「詩の辯護」にいふ處、――私は今でも當時とひとしく、シエリイを英國最大詩人の一と信じ、シエイクスピアに次いでの英國第二位の大詩人の候補者(スペンサア、ミルトン等と共に)と仰ぎたい。彼は――
『詩は人意を以て致すべきでは無い、我れ詩を作らうと人は曰ひ得ない、最大詩人も曰ひ得ない』
と曰ふ、體驗からであらう。大ゲーテが『偉大の詩……は自己の力で出來たのではない、靈の惠である』とエツカマンとの對話中に曰ふ處と一致してゐる。
 シエリイはオツクスフオード大學生時代、青春の客氣に驅られて、「無神論の必要」を書いて退校處分を受けたが、其後の作を讀むと、無神論どころか、神祕な宇宙の大虚に對して深甚の崇拜を捧げてゐる。三十歳ばかりで南歐の海に溺死したが、ゲーテ、ユーゴー、カーライル……の如く八十餘歳の長壽を保つたなら、どれほどの大作を人界に殘しただらう。
 エマスンのは論文集第二篇の『詩人論』からである。――
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『宇宙に三兒がある、知る者、行ふ者、言ふ者、即ち眞を愛するもの、善を愛する者、美を愛する者、――三者は同等である。詩人は言ふ者で、美を代表する、……詩人は副王でない、自個の權に於て帝王である、……俗人は只行爲活動を尚び、爲さずして曰ふ者を排斥する、詩人が言者で、述言の爲めに此世に下されたことが分らない。ホーマアの言の尊いのは、アガメムノーン(希臘の英雄)の勝利の尊いのと同樣である。詩人は英雄を待たない、聖人を待たない……』
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 ユーゴーのは「光と暗」(一千八百四十年刊行)の序全部で、例の如く飽く迄も意識的に自己の抱負を述べたものである。
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『……(完美の詩人は)係累が無い、桎梏が無い、意思と行爲と共に等しく自由である、……一切の艱難を憐むに於て自由である。一切の敬信を尊ぶに於て自由である。……自然界の中に生き、活世界の中に住み、……好友として原野に春を眺め、玉樓に王侯を望み、獄裏に囚人を見る……』
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 詩及び詩人に對する是等の評に對して、私は今日も何等反對すべきものを見出さない。
 明治卅三年正月、故郷仙臺にある第二高等學校に仕官し、卅四年海外漫遊に出かけ、卅七年秋、日露戰役の最中歸朝し、翌年再び二高に就職して爾來三十餘年、既往は眞に一夢のやうに感ずる。昨年、本官を辭したが、今なほ講師として奉職して居る。同僚中には、日露戰役後三年に生れた若い方もある。いつ迄も青年氣取りで、たまに晩翠翁なぞ新聞紙上に書かれると内々大不平だが、何とも致し方がない。呵々。
 與へられた枚數が盡きたから、こゝで擱筆する。
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(附言)昨年秋出版の隨筆集、「雨の降る日は天氣が惡い」の序言中に述べた通り、私の姓は從來ツチヰと發音し來つたが、種々の理由でドヰと改音した。序ながら一寸こゝに書く。
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底本:「明治文學全集 58 土井晩翠 薄田泣菫 蒲原有明 集」筑摩書房
   1967(昭和42)年4月15日発行
初出:「中央公論」中央公論社
   1935(昭和10)年7月号
※底本は、物を數える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2006年7月2日作成
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