新詩發生時代の思ひ出
土井晩翠

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)大凡《オホヨソ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)『|人生の歌《ゼサームオフライフ》』

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)テイン※[#小書き片仮名ヌ、1−6−82]など

 [#…]:返り点
 (例)時々深夜聞[#レ]鷄起
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 ブランデスやテイン※[#小書き片仮名ヌ、1−6−82]などに其例を見る通り、文學史を書く者の中には、勝手な豫定の觀念を基とし、これに當てはまる材料のみを引用して、何とかかとか纏りを附け度がる弊風がある。漢文學史の上にも澤山の類例があらう。元遺山の編と稱せられて、そして實際其編である事は間違ひない、と思はるゝ「唐詩鼓吹」に、明末清初の錢謙益(牧齋)が序文を書いて、中に明代三百年來の詩學の弊風を攻撃し、
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『あゝ唐人一代の詩各々神髓あり、各々氣候あり、然るを初唐盛唐中唐晩唐と無理に區分[#「無理に區分」に白丸傍点]して、隨て之を判斷し、此が妙悟、彼が二乘、此が正宗、彼が羽翼……など、支離滅裂して、唐人の面目を千歳の上に暗からしむ』(意譯)
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と嘆じ、そして此弊風は嚴羽の詩論「滄浪詩話」と高廷禮編集の「唐詩品彙」とが責を負ふ可きものであると痛論して居る。
 明治文學ももう過去のものとなつて、「明治小説史」「明治詩歌史」などゝ題するものが昨今可なり多い。
 昭和二年頃に新潮社刊行の「日本文學講座」の中にも若干篇がある。『新詩發生時代の思ひ出』といふやうな題で何か書けと、畑中氏から先般依頼されて居たが、近頃或る事柄で頗る繁忙なので、濟まないが全く打ち捨て置いたが、原稿締切の期日が眼前に迫るので、慌て氣味に貧弱な藏書を調べると、右の新潮社の刊行があつた。そして其中に新詩發生時代を説く、「明治詩史」といふものを見附けた。可なりよく調べて居るやうだが、やはり文學史家の陷る弊風が無いでもない。
 昨年の「國語と國文學」の夏期特輯、「明治大正文學を語る」(藤村作博士が卷頭に序して居る)八月號の編輯後記に『本誌自體が書き改められた明治大正文學史であると曰つても誇稱では無からうと思ふ』とあるが、私が課せられた題目の新詩發生時代に就ても面白い思ひ出が數々載せられてある、其中井上巽軒先生の御話がよく當時の實際を穿つて居る。
 先生の御話中には無いが、明治最初刊行の新詩は福澤先生のである、即ち「世界國づくし」、七五調で世界地理を歌ふた當時の破天荒である。今日から見れば、まづい點のあるを免れないが、『五大洲』を韻文であゝ迄に歌ふといふ事が確に偉い、しかも是は全く先生の餘技である。見返しには――
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『福澤諭吉著、素本世界國盡全三册明治五年壬申初冬、福澤論吉賣弘』
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とある、そして發端は――
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『世界は廣し萬國は・おほしといへど大凡《オホヨソ》・五つに分けし名目は・亞細亞阿非利加歐羅巴・北と南の亞米利加に・堺かぎつて五大洲・大洋洲を別に又・南の島の名稱《トナヘ》なり……』
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歐洲を歌つては――
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『……國の大小強弱も・時勢によつて浮き沈み・魯西亞普魯士墺地利・英と佛との五ヶ國は當時日の出の五大國・……(歐洲は)人民恆の産を得て・富國強兵天下一……兵備整ひ武器足りて・世界に誇る泰平の・その源を尋るに・本を務る學問の・枝に咲きたる花ならむ・花見て花を羨むな[#「花見て花を羨むな」に傍点]・本なき枝に花は無し[#「本なき枝に花は無し」に傍点]・一身の學に急ぐこそ[#「一身の學に急ぐこそ」に傍点]・進歩はかどる[#「進歩はかどる」に傍点]紆路《マワリミチ》・共にたどりて西洋の・道に榮る花を見む』
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 これは昭和十年の今日でも傾聽するに足る、流石は一代の先覺である。全篇三卷を讀み通すと、明治初年に於ける世界の大勢が朧げながら伺はれる。(書中の固有名詞などの書き方が頗る振つてゐるのも一興。内留《ナイル》河、比羅三井天《ピラミイデ》、尻屋《シリヤ》、羽禮須多院《パレスタイン》、奈保禮恩《ナポレオン》、和阿戸留樓《ワートルロー》、治部良留多留《ジブラルタル》、金田《カナダ》、輕骨田《カルコツタ》、荒火屋《アラビヤ》、衞士府都《エジプト》、麻田糟輕《マダカスカル》等々々《トウトウトウ》)
 但し流石の先生も、米國に行て其物質文明に眩惑されて、極端の米國崇拜となつたのは無理もない。
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『…天の道理に基きて・國に報ゆる丹心の・誠に出で
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