く唐突に身を動かして、下手の方より何ものかをきき出でたるがごとき姿す。
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妙信 (刹那《せつな》に来る不安の調)どうしたのだ。
若僧 (同じ姿を保ち)怪しい物の音《ね》がきこえる。女人の髪の毛が笹《ささ》の上を流れて行くような。
他の三人 (いささか高低を違えてほとんど同時に)え――
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僧徒らはあたかもくらげ[#「くらげ」に傍点]の浮動するがごとき怪しき姿して物の音《ね》をたずねてあり。間。
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若僧 そこの杉の根元あたりで、あ、あんなに――
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長き不安なる間。若僧は歩み出でて下手谷の底へ這い下れる森林の内を伺いのぞく。間。
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妙源 何ぞ見えるのか。
妙信 (恐怖に戦《おのの》きつつ)静かにせぬかよ。
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間。
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若僧 くらやみが煙のようにわき上って来るばかりで何も見えは致しませぬ。(僧徒らの方を顧みつつ)物の音《ね》は三度目に、この根元あたりできこえたのでございますけれど。
妙源 (腹立たしげに)ええ何もきこえたのではないのじゃないか。わけもないことを言って人を驚かす奴だ。
妙海 わしにもたしかにきこえた。ちょうどつめたい鱗が笹の葉をなでるような――
若僧 (迹りて)そのような物の音《ね》ではございませぬ。やっぱり女人の長い髪が、重そうに葉の上を流れて行く音でございました。(再び森の中を見て)あすこの欅《けやき》の根元からこの裾《すそ》へかけて三度ばかりきこえました。
妙源 みんな恐ろしさに耳の中まで慄えるので、自分の血のめぐる音《おと》がいろいろな物の音《ね》にきこえるのだ。
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第三段
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この時上手鐘楼の角より和尚妙念|顕《あら》わる。僧徒らは中辺より下手の方にたたずみて背《そびら》をなしたれば知らであり。齢《とし》五十に満たざるがごとくなれど、眼《まなこ》の色、よのつねのものには似ず、面色|憔悴《しょうすい》して蒼白く、手には珠数を下げ僧衣古びたれどみずから別をなす格位を保てり。いま僧徒らの斉《ひと》しく森の方を眺め入れるを見、にわかに恐怖を見出でたるがごとく歩みを止む。若僧の顧み知りて怪しく叫ぶや、僧徒ら掴《つか》むがごとく相|集《つど》う。不安なる対立。
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妙念 悪霊の姿が見えたというのではないのか。
妙信 まだ私どもの眼に見えてはおりませぬ。
妙念 もうどうしても上って来る時分なのだ。お前たちのような奴は眼の前へ形が見える先に、煙のような忍びの音《ね》が這ってくるのを知らないのだな。己《おのれ》があの本堂の傍へ犬のようにつくばって、地《じ》をなめずるみみず[#「みみず」に傍点]のうごめくのまで見張っている間に、お前たちはこんなところでいぎたなく唇《くちびる》を弛《ゆる》ましながら、眠ってなんぞいたのじゃないか。
妙信 眠っているどころではございませぬ。耳の中をめぐる血の音《おと》や、はかない出し入れの息の音《ね》にまで、とかげ[#「とかげ」に傍点]のように怯えながら心をつけていたのでございます。ちょうどいまも、怪しいものの音《ね》がきこえるなどと申す耳の迷いから――
若僧 (激しく語を迹りて)耳の迷いではございませぬ。ちょうど女人の髪の毛が笹の上を重く流れて行くようなものの音《ね》が、あの欅の根元からここの裾へかけて、三度ばかり聞えたのでございます。
妙念 (にわかに激しく)そこにいるのは誰だ。
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間。若僧は無言に妙念を視つめてあり。
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妙信 (何物かをおそるるがごとく)ゆうべ新入りの若僧でございます。
妙念 何しにこの山へはいって来たのだ。
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間。
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妙信 (若僧に向い)黙っていずと、お返事をせぬかい。
妙念 何しにこの山へはいって来たのだ。
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間。
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妙念 何しにこの山へはいって来たのだ。
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いと長き間。若僧の眼はようように鋭き凄色《せいしょく》を帯び、妙念は怪しき焔を吐くばかりの姿して次第に蹂《にじ》り迫る。さらに長き期待の堪うべからざるがごとき場《じょ
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