方に走りてさしのぞき)もうあすこの大杉まで焼き倒れたのだ。血のしぶくように火の粉をちらした煙が渦をまいて、呻《うめ》きながら湧きのぼってくるわ。恐ろしい火の色が、まっ黒な木の間に姿をかくすかと思うと、もう破りさくように跳《おど》り出してわきへ追いかけて行く、ここから見ていると山中の木々が、泣きよばって逃げまどいながら、血煙の中に仆れるようだ。(僧徒らを顧みあららかに)だがみんなどうしようというのだ。こんなところにぐずぐずして生きながら灰になるのをまっているのかい。
妙信 和尚様、ほんとにどうなされたのでございます。このようなところにおいでになっては――
妙源 妙信――
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妙信と妙海とは、最前より同じき姿を保ちて佇立《ちょりつ》せる妙念の方を顧みつつも、妙源の後につづきて鐘楼を左折し去る。次第に赤き煙、濃くなりまさりて場に漲《みなぎ》る。ただ、血に彩らるることなくして蒼白く残りたりし妙念の面にも、かの仆れたる女人のしかばね[#「しかばね」に傍点]にも赤きいろは噛《か》み貪《むさぼ》るがごとくにじみつつ来るなり。
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妙念 (怪体《けたい》なる微笑を浮べつつ声調きわめて緩《ゆる》やかに)だんだん赤くなって来た。依志子、もう一度眼をあけて見ないか。血の粉を撒いたような霧が、谷の底から這い上って、珍らしい夜明けが来たようだ。空の胸まで薄皮を剥がれた肌のように生赤く、朝の風に苦しい息をついておるわ。依志子。(はじめて女体をさしのぞきて)もう一度眼をあけて見ないか、お前の顔にも赤い色がにじんで、小さな耳が、水に濡れた貝殻のように、透き通って見えて来た。依志子。(女体の傍にくずおれて這いつくばい)依志子、なぜその眼をあけないのだ、お前は死んだもののように黙っている、己たちはまだこんな夜明けを見たことがなかったのだ。(つくばいたるままにあたりを見廻して)ほんとに赤く、(すでに幕下り始む)見ているうちにだんだん赤くなって行く――
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幕下りて鐘楼の欄を覆《おお》わんとする時、再び悪鬼の三女あらわれたるがごとく、その面はすでに見るよしなけれど、黒き髪石段の上にのさばり落つ。
幕は(能うべくば華美ならざるを用いたし)妙念がもの言いて後、おもむろに閉じ終る。
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